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魂の大地 ドストエフスキー「カラマーゾフの兄弟」


亀山郁夫
東京外国語大学 学長



今、ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」が静かなブームを巻き起こしています。 きっかけとなったのは、55万部という古典では異例のベストセラーとなったこの新訳本。 読者の半数は、20代から30代の若い世代です。 30年ぶりとなるその新訳にとりくんだのが、 東京外国語大学の学長で、ロシア文学者でもある亀山郁夫維さん。 亀山さんは、今なぜドストエフスキーなのかを深く問いかけています。

19世紀ロシアの文豪、フョードル・ミハイロヴィチ・ドストエフスキー(1821~1881)。 ドストエフスキーが生涯最後に書き上げた大作「カラマーゾフの兄弟」とはどんな物語なのでしょうか。


亀山郁夫
ドストエフスキー最後の小説。世界文学の最高峰と呼ばれているこの「カラマーゾフの兄弟」。 この中心テーマというのは、父親殺しをめぐるミステリー、というふうに呼んでいいと思います。

カラマーゾフ家の父親が、何者かによって殺される。 そして、父親を殺したのはいったい誰なのか、という問題ですね。 ドストエフスキー自身が18歳の年に、実は、ドストエフスキーの父親のミハイル・ドストエフスキー、 当時、モスクワの百数10キロ南の、ダロヴォエ チェルマッシニアというですね、 その領地の主だったわけですが、その主であった父親が、農奴たちの恨みをかって殺害される、という事件が起こるわけです。

では、いったいなぜ、ドストエフスキーは、自分の人生の最後にきて、 この「父親殺し」というテーマをとり上げたのか。 これは、いってみれば、非常に謎めいた部分であり、 ドストエフスキーは、この小説に、おそらく、全てを注ぎ込むかたちで、 全ての自分の精神的な、或いは、これまでの全ての蓄えを投げ込む気持ちでこの小説にとりかかっている、 というふうに思うわけです。


storyteller
物語の舞台は、とあるロシアの田舎町。 ある夜、地主のフョードル・カラマーゾフが、何者かによって殺害され大金が奪われているのが発見されます。 殺されたフョードル・カラマーゾフは、好色で老獪。町の鼻つまみ者でした。 そのフョードルには、3人の息子がいます。

元軍人で激情的な性格の長男ドミートリー。 冷徹な知性を持つ次男イワンは、当時流行の新しい思想 無神論に被れていました。 そして、修道院で修行している三男アリョーシャ。 こころ清らかな青年です。

そのなかで、まず疑われたのは、長男のドミートリーです。 殺されたフョードルとの間で、亡き母の遺産を巡る争いが起こっていたのです。 さらに2人は、グルーシェニカという魅力的な女性を巡って激しく対立していました。 しして、ドミートリーは、犯行の二日前、父親を殴りつけこんな言葉を吐きました。
「なんでお前みたいなヤツが生きてるんだ。殺してやる。」
遺産と女を巡る争いからドミートリーには十分な動機がありました。

しかし、無神論者であるイワンにも動機がないとはいえません。 日ごろから父親を軽蔑していたイワンにも、フョードルが死ねば遺産が入るのです。




父殺しの物語


「カラマーゾフの兄弟」は、ドストエフスキー自身の身に起こった出来事が強く結びついた作品です。 ドストエフスキーが、18歳の時、父ミハイルが領地の農奴に殺害されたという事件です。 それは強い衝撃となって生涯ドストエフスキーのこころに残り、 「カラマーゾフの兄弟」へと投影されたのです。


亀山郁夫
この、父親が殺される、というこの事件にドストエフスキーは大変衝撃を受けて、 ドストエフスキーというのは生涯にわたって癲癇の病に苦しみ続けるわけなんですけど、 その最初の発作が起きたときだ、というふうにいわれています。

なぜ領主であったミハイル・ドストエフスキーが農奴によって殺されたか、 ということなんですが、このミハイルという父親は、モスクワに医科大学で学んだエリートであるわけですけど、 ナポレオン戦争に従軍し、そのなかでかなりニヒリスティックな傾向を強めていく。 そして、アルコールにかなり依存し、周囲の者に乱暴を振るう、といったことが起こる。 そしてさらには、家庭内で非常に厳しく子どもをしつける。 さらに、彼が地主生活をはじめてからはですね、その地主・・・、 彼がモスクワの南の領地を買って、そこで地主生活をはじめてからは、 その農奴たちの娘たちを、陵辱するといったようなこと、そういったことがですね、 重なるわけですね。それで、農奴たちの非常に激しい恨みをかって、 そして殺害されるという、そういうふうな事件に至ることになるわけです。

おそらくドストエフスキーは、そうした自分の父親の実像というものをどこかで知っていたのではないか、 と私は想像してるんですね。 そうした、父親に対する嫌悪と憎悪といったものがなければ、 おそらく、父親の死という知らせに接して癲癇をともなった、 激しい痙攣の癲癇の発作にとらえられるといったことはなかった、 というふうに思うわけです。

つまり、その癲癇の発作というのは、ひょっとするとそうした父親に対する憎しみ、 憎悪、嫌悪、軽蔑、そういった諸々の気持ちが、ある意味では開放される。 開放される、というのは、言ってみれば、さらに突き詰めて言うならば、 「父親の死に対する願望」が実現し、その実現によって自分自身が開放され、 そして、父から独立する、という、そうしたドラマを物語っていたのではないか、 と思われるわけです。


storyteller
カラマーゾフ家にはもうひとり、料理人として働くスメルジャコフという男がいました。 実は、そのスメルジャコフは、フョードルが街をうろつく宿無し女に産ませた子どもだという噂があります。 つまり、スメルジャコフもカラマーゾフの兄弟のひとりという可能性があるのです。

父親と争っていたドミートリーが逮捕され、その裁判を目前に控えていたある日、 次男のイワンは、スメルジャコフからこんな話を聞きます。
「あんただって、あんな父親は早く死ねばいいと思っていたんでしょ。 だから、あなたのためにやったんですよ。私は、あなたのお手伝いをしたんです

(イワン)「へっ、何のことだ」
(スメルジャコフ)「あなたはよく神がいなければすべては許される、 と言っていたじゃないですか。だから、あなたのためにと思って殺したんですよ」
(イワン)「おっ、おまえがおやじを殺したのか」




神がいなければすべては許される


亀山郁夫
スメルジャコフという、つまり実行犯といいましょうか、 実行犯というのか、非常に奇怪な人物である。 幼い頃から猫を縛り首にして、そして、その葬式をやっては楽しむ、 という、そんな非常に変わった、しかも彼は非常に奇妙な潔癖症をもっている。 さらに、近所に住んでいる番犬に針を含ませたパンを食べさせる、 そして、苦しんでいる犬を見てはよろこぶ、という、 普通の言葉で言えば、サディストなわけですね。

スメルジャコフという男は、おそらく、自分がそうした許されざる資質とでも言いましょうか、 許されざる、そうした性質、というもの、これが、 絶対許されないものだという意識をもっている、 しかし、もしも、神がいなければ、私はこうした不幸な、ある資質をもって生まれてきたけれども、 もしも神がいなければ、こうした汚らわしい私でも生きることができるのだ、という、 自分の性は、自分の存在は、許されるのだ、という、そういうようなことを考えていたと思うんですね。

そこでスメルジャコフは、イワンと出会う。 イワンは、「神がいなければすべては許される」、と言う。 すると、スメルジャコフは、自分自身の生命を賭けて、この「神がいなければ」という、この思想、 これを、いわば思想に身も心も囚われる、ということになるわけです。

イワンは、単にこのスメルジャコフをそそのかした、 しかし、そそのかしたといっても「殺せ」とまでは言ってないんですね。言っていない。 むしろスメルジャコフは、父親の死を願望しているイワンの潜在下の欲望というものを、 意識下の願望というものを、言ってみれば「代行」するかたちで殺すわけなんですね。


storyteller
イワンは、自分でも気づかぬまま父親の死を願い、その結果起きた事件だったことを知ります。 そして、その罪の意識から悪魔の幻影に悩まされていきます。

真相は、父親殺しをそそのかしたのがイワンで、実行したのがスメルジャコフでした。 ドストエフスキーは、その登場人物に自分自身を重ね合わせています。


亀山郁夫
イワンが、スメルジャコフをそそのかして、そして父親のフョードルを殺した、というこの物語の構造。 父殺しの構造。 ここのなかから浮かび上がってくるもの、これは、実はこういうことなんですね。

スメルジャコフの語源となっている、スメルド(=農奴)というのは、 これは、「農奴」という意味なんですね。 実際に、1839年に、ドストエフスキーの父親が殺されたときには、農奴が父親を殺したわけです。 スメルドが父親を殺したわけです。

ここまではわかるわけです。歴史的な部分と小説の部分が読み取れる。

では、イワンは、この自伝小説のなかにどう係わっているかというと、 やはりこのイワンというのは、ドストエフスキー自身の分身なんですね。

この小説から明らかになるのは、18歳のドストエフスキーがいったいその時、 何を経験してきたか。 「何を経験していたか」ということ。 それはまさに、18歳の青年ドストエフスキー、私は、農奴 スメルドをそそのかして自分の父親、 こちらはミハイルですが、「殺した」という、そういう罪意識として経験された。 それによって、しかも開放されたんだ、という。 これはドストエフスキーにとって非常に恐ろしい自覚、 恐ろしい発見だ、というふうに思うわけです。

事件の全貌は明らかになりました。 しかし、残る兄弟のひとり、一見事件とは何のかかわりもないアリョーシャに、罪はなかったのでしょうか。


storyteller
修行僧であり、清らかなこころの持ち主であるアリョーシャは、 父フョードルが殺される前、無神論者の兄イワンから、こんな話を聞かされています。

或る所に、元将軍の領主がいました。 その男は猟が大好きで犬を沢山飼っていました。 ある日、村の少年が、誤って領主の犬に怪我をさせてしまします。 大変怒った元将軍は、その少年を捕らえさせ、泣き叫ぶ母親の前で、 少年を裸にして獰猛なヴォルゾイ犬をけしかけ、全身を食いちぎらせたというのです。

(イワン)「この元将軍をどうするべきだと思う?」
(アリョーシャ)「そんな男は、銃殺にすべきです」




銃殺にすべきです


亀山郁夫
「そんな地主は銃殺にされるべきだ」と。こう言うわけですね。 この「銃殺にされるべきだ」という一言を放ったアリョーシャというのは、 もはや絶対的な存在ではない。 キリストの神、っていうものを信じ、一人ひとりの人間の生命には無限の価値があるという、 そういう教えを説くキリスト教の絶対的帰依者ではない、 というふうにいえるわけなんですね。

心優しい、そして、誰もが愛するこのアリョーシャといえども、 人間の、ひとりの死というものに対しては、 そこまでリアルなひとりの人間としての感性を持ってるというわけで。 その意味においては、アリョーシャも決して父親殺しという、そのいわば、 ミステリーの犯人からは除外され得ないということなんですね。 「アリョーシャは決して聖域化された人物ではない」と。 このようにドストエフスキーはいうわけです。

フョードル殺しを巡る物語。そこには、どこかこころの病んだ人間ばかりが登場します。 その一人ひとりの姿は、現代の私たちにも強い共感を抱かせます。

この小説が書かれた時代は、ロシア帝政が末期を迎えていました。 国民の多くは、農奴から開放(農奴解放令 1861年)されたものの、 貴族や地主から搾取されていました。 ドストエフスキーは、封建的な社会の変革を求める社会主義者たちの集会に出入りし、 28歳のとき、法廷反逆罪で逮捕されシベリア送りになっています。

その激動の時代をドストエフスキーは、「カラマーゾフの兄弟」に織り込もうとしていました。 それは、父殺しの物語がさらに大きなテーマへ発展するという構想です。




父殺しから皇帝殺しへ


亀山郁夫
この「カラマーゾフの兄弟」というのはいったいいつの時代の物語なのか、 という素朴な疑問が起こるわけですね。 ドストエフスキーは、この「カラマーゾフの兄弟」を書くにあたって、 「カラマーゾフの兄弟」という名前、「カラマーゾフ」という名前、 これが、実は、1866年に起こった最初の皇帝暗殺の犯人、ドミートリー・カラコーゾフの、 「カラコーゾフ」と非常に似ているということが挙げられるということです。 つまり、「カラマーゾフの兄弟」という物語は、どこかで、 皇帝暗殺の物語を意識した物語だということなんですね。

この1866年の最初の皇帝暗殺をきっかけに、1870年代以降、 ロシア社会というのは、まさにテロの社会へと変貌していきます。 そうした時代を睨みながら、ドストエフスキーが「カラマーゾフの兄弟」を書いていたということ、 その意味で、ドストエフスキーは、「カラマーゾフの兄弟」を書きながら、 必ずや、時代との対話、テロの時代との対話、 いったいこの皇帝暗殺というテーマを、この「カラマーゾフの兄弟」という小説のなかにどう盛り込むことが出来るのか、 という、このテロ事件をいかにこの小説のなかに取り込んでいくか、ということを、 念頭に置きながら、この小説を書き詰めていった、というふうに私は考えているわけです。


storyteller
「カラマーゾフの兄弟」のラストシーンは、こころ清らかなアリョーシャが、 彼を慕う地元の少年たちと語らう場面です。

(アリョーシャ)「僕らは、別れ別れになります。もしかしたら、これから悪い人間になるかもしれません」

アリョーシャが、少年たちに語るこの言葉には、皇帝暗殺につながる未来を予感させる響きがあります。 ドストエフスキーは、「カラマーゾフの兄弟」を書き終えたわずか2ヵ月後の1881年1月、 肺動脈破裂により急死します。(享年59歳)

その2ヵ月後の3月、何度も暗殺未遂が繰り返されていた皇帝アレクサンドル2世が、 爆弾を投げつけられついに暗殺されます。

「カラマーゾフの兄弟」の序文にあたる「著者より」のなかには、 この小説が、1部と2部に分かれた物語であると記されています。


亀山郁夫
ドストエフスキーは、この序文のなかで、このアレクセイ・カラマーゾフの伝記を書くといっている。 そして、その伝記は2つの部分からなている。 その最初の部分、第一の小説が、これが「カラマーゾフの兄弟」だ、というわけです。 この「カラマーゾフの兄弟」で扱われたテーマが何かというと、 カラマーゾフ家の父親であるフョードル・カラマーゾフ殺人事件だったわけです。

では、第二の小説では何がテーマになっているか。 これは、恐らく、いわば民衆の父である、ロシア民衆の父親であるアレクサンドル2世の殺害の物語。 アレクサンドル2世という、いわば皇帝殺しの物語が、第二の、続編の物語である。 いってみれば、皇帝殺しを巡るミステリー。 これが、第二の小説になるはずだった、ということなんですね。

ドストエフスキーが生きた混沌としたロシアは、情報が溢れテロの脅威に脅かされる現代と驚くほど通じています。

欲望・愛・正義。
人間の深層を鋭く見抜いたドストエフスキーの作品は、 120年の時を超えた現代でも輝きを放っているのです。


亀山郁夫
ドストエフスキーは、非常に生身の作家であった。 同時代に起こるさまざまな事件。 殺人事件、少女陵辱の事件、あるいは、幼児虐待の事件、家庭内暴力。 こういった物語を、こういった事件を常に小説のなかにビビッドに持ち込んできた作家だ、 というふうにいえるわけですね。

と同時に、グローバリゼーションと呼ばれる現代において、 もうほとんど我々の脳というのはですね壊れかけている、 というふうに思われるぐらいに、 我々の精神、あるいは、我々の脳というのは圧倒的な情報量の前で壊れかけている、と思うわけです。

ドストエフスキーが自分の小説のなかで描こうとしていた人物というのは、 みんな壊れかけている人間なんですね。 いってみれば、この情報社会、このインターネット社会、 グローバリゼーションのかなで、そうした人間を一人ひとり丹念に描いている。 これがドストエフスキーが読まれている最大の理由だ、と私自身は今考えているわけです。

 

13 June 2008
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