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神になった日本人-北朝の寺、南朝の社-後醍醐天皇




京都、嵐山。
京都五山の一つに数えられる名刹、天龍寺です。

京都五山の一つに数えられる名刹、天龍寺
 

現代日本画の巨匠、加山又造(かやま またぞう)の描いた天井画「雲龍図」で知られています。

天井画「雲龍図」
 

そして嵐山。
亀山を借景として取り入れた庭、曹源池(そうげんち)は、名僧夢窓国師の作として有名です。

曹源池(そうげんち)
 

しかし、この寺の持つ本当の意味はあまり知られていません。広い境内の奥にある建物の中に、南北朝時代足利尊氏との政争に敗れた後醍醐天皇の霊が祭られています。天龍寺は、足利尊氏が後醍醐天皇の怨霊を鎮めるために造らせた寺なのです。

後醍醐天皇と足利尊氏。そして、この寺の開山 夢窓国師。天龍寺にはこの三人の物語が秘められています。

国際日本文化研究センター教授で民俗学者の小松和彦さん。小松さんは、神に祭られた日本人をテーマに研究を続けています。

後醍醐天皇像
 

小松和彦さん
「 ここは天龍寺の多宝殿と呼ばれるところです。 ここは実は、この天龍寺の最も聖なる場所と言われる処で、天龍寺の建立に非常に重要な役割を果たした三人の場所。 特に、後醍醐天皇の魂が祭られております。三人といいますのは、この寺の開山 夢窓国師、 夢窓国師に頼んで後醍醐天皇の魂を鎮めて欲しいといわれる足利尊氏。 この場所は、三人の記憶が篭っている場所というふうに言えることもできます。 」

天龍寺の多宝殿
 

後醍醐天皇が生まれたのは、鎌倉時代末期の1288年。当時天皇家は、兄弟二つの血筋が対立していました。 持明院統大覚寺統です。 そのため、この両統が交互に皇位を継承するという取り決めがなされました。

1301年、天皇位が持明院統から大覚寺統に移り、後醍醐天皇の兄 後二条天皇が即位しました。 後醍醐は、後宇多天皇の第二であったため、もともと皇位継承権はありませんでした。 しかし、兄の後二条天皇が若くして亡くなってしまいます。天皇位は持明院統に移りました。 大覚寺統では、次の天皇を誰にするのか、候補者を指名することになりました。 その時、歴史の歯車が狂い始めます。

天皇系譜
 

小松和彦さん
「 後二条天皇というのが比較的早く亡くなります。早く亡くなった結果として皇太子を誰にするのか、ということになったわけです。 早く亡くなった後二条天皇の息子、それとも後醍醐を皇太子に立てるか、 そのようなことを巡ってそれぞれの思惑はあったんですが、 後宇多天皇は、後二条天皇の子どもがある程度大きくなった時に皇太子に立てるが、つなぎの意味で、一代限りの条件で後醍醐に天皇をさせるわけです。 」


後醍醐が天皇に即位したのは、1318年。31歳の天皇は、当時としては異例の高齢でした。つなぎとして指名された後醍醐天皇でしたが、しばらくすると、後宇多上皇から権力を譲り受け自ら積極的に政務を行い始めます。

当時の鎌倉幕府は、蒙古襲来以降、休息に求心力を失っていました。しかも、執権 北条高時は、政治を顧みず、享楽にふけり、内部に不協和音が生まれていたのです。


小松和彦さん
「 鎌倉幕府も動揺期を迎えておりました。 そういう中で、鎌倉幕府がこのままでいいんだろうかというかたちで政権を支える御家人たちの間でトラブルも起きていたわけです。 そういうことを後醍醐天皇は視ていた。それで、その鎌倉幕府が、誰を天皇にするのかという発言力を持っていたわけです。 ですから、31歳で天皇になった後醍醐は、さまざまな政治の力学の中で、武士の政権ではなく、天皇を中心とした政権を創りたいと。 幕府を倒し、自分の権力を10年だけでなく、20年、30年。さらに自分の子どもがまた天皇になった時には、その権力を譲りたいというに考えたんですね。 」


腐敗しきった幕府を倒し、新しい政権を打ち立てようと、後醍醐天皇は本格的に倒幕計画を進めていきました。 幕府に不満を持つ者や、幕府の支配下にはない悪党と呼ばれる武装集団を盛んに集め、武力を蓄えたのです。 しかし、その企ては、二度に渡って事前に発覚。 いずれも失敗に終わります。 後醍醐天皇は捕らえられ、1332年、隠岐島に流されてしまいます。


小松和彦さん
「 彼の回りには悪党と呼ばれるような、武士でもどちらかというと、 周辺的な山賊とか海賊といった類の者たちが多かったというのですが、 その中には、楠木正成だとか、そういった者も入っていたのですが、 そういった者を巻き込みながら、少しずつ倒幕の準備を始めるわけです。 何度か倒幕の兵を挙げたりするのですが、発覚して失敗するけれども、 非常に強運の天皇だったといっていいのかもしれませんけど。 命だけは奪われずに隠岐に最終的には流されるかたちで、 失敗もその程度で済んだわけです。 その中で、天皇が倒幕運動を起こすだとか、というこどちらにとを耳にした各地の鎌倉幕府に対する不満分子が、 どちらに付こうか、倒幕した方が有利か、そういうようなことを考えながら世の中が動いてた時代だと思います。 」


鎌倉幕府を倒そうという機運はすでに全国に広がり、 各地で挙兵が相次いでいました。 その討伐のため幕府から都に派遣されたのが有力御家人として力のあった足利尊氏です。 しかし、足利尊氏は、その混乱の中、一転して倒幕側に寝返ります。 幕府にはもうその勢いを止める力は残っていませんでした。 鎌倉幕府はあっけなく倒れてしましました。(1333年滅亡) そうした中、隠岐を脱出した後醍醐天皇は、京に戻ります。 都を鎮圧した足利尊氏に迎えられ、再び御所の主となるのです。


小松和彦さん
「 足利尊氏という人物は、源氏なんですね。 自らは源氏の頼朝も子孫である、というような思いをもっていたと思います。 それが動乱期になった時に、当然、北条氏の幕府ではなくて、 源氏の幕府を取り戻したいと、考えていたと思います。 そういう中で、都の方では後醍醐が倒幕を計画していると。 足利尊氏は倒幕派を制圧するために都に出ていくわけですが、 京都に入ろうとする中で、後醍醐派の方に寝返るわけです。 ですから、後醍醐天皇と足利尊氏は、最初は敵対する関係だったのですが、 足利尊氏が寝返ったことによって、幕府は滅亡し、後醍醐天皇の政権が確立されるわけです。 」


足利尊氏と後醍醐天皇が力を合わせた新しい政権が誕生します。1333年、後醍醐天皇が政権を担う建武の新政が開始されたのです。新しい政権は、天皇が実権を握る天皇専制の色合いが強く表れたものでした。

発足して早々に、武士たちの間に不満が広がります。次々と新制度が打ち出される中、領地を没収される武士たちも出てきたのです。倒幕の大きな力となった足利尊氏も次第に対立するようになっていきました。


小松和彦さん
「 後醍醐天皇というのは、平安中期の天皇が政治をして、貴族がいて、その周りに武力を持った武士たちが守ってくれていると。 そしてそれが非常に安定していた時代だったと、学んで。 自分も平安中期の天皇が中心となった時代を再現したいと。 武士ではなくて、天皇親政の。そういうことを憧れていたんですね。 」

「 足利尊氏は、武士の政権を夢見ていたんだと思います。 幕府を頼朝が開いて、天皇はどちらかというと脇に居るというような。 ですから、足利尊氏が考えていたのは、後醍醐天皇を助け、後醍醐天皇から征夷大将軍を認めてもらって、そして鎌倉に足利幕府をつくる、というようなことを夢見てたんじゃないかと思います。 」

「 ずいぶん違うんですね。武士の政権と天皇の政権というのは。 」


新政権発足後も各地で幕府の残党による反乱が起こっていました。足利尊氏は、討伐のため関東に出兵します。しかし、平定後、尊氏は後醍醐の命令に背いて鎌倉に留まり続けます。


小松和彦さん
「 尊氏が鎌倉に行って乱を平定します。 しかし、帰って来い、という後醍醐の命令に従わないで鎌倉にじっとしているわけです。 ですからそこで尊氏は明らかに後醍醐に対する反旗を翻したといっていいと思います。 後は、足利尊氏に付く側と、後醍醐に付く側の戦いですね。 まさに南北朝の動乱と呼ばれているようなものが始まるわけですね。 」


ついに敵対した後醍醐天皇と足利尊氏は、一進一退の攻防を繰り広げます。 一時は九州まで追われた尊氏も力を蓄えて都に攻め上ります。 決戦となったのは、1336年の湊川の戦です。 大群で圧倒して尊氏は、一挙に都に攻め込み、後醍醐天皇は奈良吉野の山中に逃げ込みます。

吉野は、修験道の一大聖地でした。後醍醐天皇は修験の僧兵たちに守られて仮の御所を営みます。

僧坊の一つ。吉水院がその御所となりました。後醍醐天皇がここで開いた朝廷は、南朝と呼ばれ、それに対抗して足利尊氏は都に持明院統の天皇を立てました。南北朝の分裂です。

吉水院
 

小松和彦さん
「 後醍醐側は吉野、いわば修験道の僧兵たちが居るところに逃げ込んで南朝を維持するわけです。 都には足利尊氏が立てた新しい、後に室町幕府と呼ばれるような政権を造ります。 これが北朝と呼ばれるものです。 ほとんどの地域は徐々に足利氏の支配下に入るわけですけども、 しかしそれでも後醍醐天皇側に組するというような武将が居ましたので、結構これが長く続きました。 」


しかし、都を追われてから3年後、後醍醐天皇は亡くなります。(1339年、後醍醐天皇 崩御)いつの日か都に帰り失った政権を奪い返すという思いを胸にこの吉野に地で果てたのです。

息子である後村上天皇は、父を偲んで木像を奉納しその霊を祭ったといいます。(吉水神社

吉水神社
 

後醍醐天皇の墓、塔尾陵(とうのおのみささぎ)は近くの山中に造られました。
遺言は、「玉骨ハタトヒ 南山ノ苔ニ埋ルトモ 魂魄ハ常ニ 北闕ノ天ヲ望マン」
普通は南を向いている天皇陵が都がある北向きに造られました。 最後まで都に戻る夢を捨て切れなかったのです。

思いがけず天皇となり、理想の政治を追い求め続けた後醍醐天皇。左手には法華経、右手には剣を携え、葬られたといいます。

後醍醐天皇の墓、塔尾陵(とうのおのみささぎ)
 

その後醍醐の霊が怨霊となるのを秘かに畏れた僧が居ます。後醍醐と尊氏のそれぞれと繋がりのあったもう一人の登場人物、当代の名僧と言われた夢窓国師です。

後醍醐天皇が礼を尽くして京都南禅寺の住持に迎えたこともあります。 その夢窓国師が室町幕府を構えた足利尊氏に進言しました。
「後醍醐天皇の霊が国土に様々な災禍をもたらしています。菩提を弔うようになされば、きっと天下も静かになることでしょう」

夢窓国師像
 

小松和彦さん
「 この足利尊氏と後醍醐天皇と夢窓国師と呼ばれる人が、 一緒に同じ席にいたか、顔を合わせたかどうかわからない関係なんですけども、 大変に優れたお坊様だったようで、貴族、或いは、武士たちからも尊敬をされたお坊さんであります。 『 太平記 』という軍記物の中では、夢窓国師の諭しで天龍寺を造るようになった、 ということが書いてあります。 ですから、夢窓国師が尊氏たちに、崇徳院が祟ったではないか、或いは、菅原道真が祟ったではないか、 そのために天下が乱れ、災悪が起きたり、疫病が流行ったり、 戦乱が続いたり、したけれども、そういうものをきちっとお祭りして 霊を鎮めていけば、そういう人たちも自分たちの守護神になってくれる。 きちっと後醍醐天皇の霊をお祭りしなさい、というようなことを夢窓国師が語ったと言われております。 」


恨みを抱いたまま死んだ後醍醐の魂が怨霊となり祟りをなすことがないように、 足利尊氏は、直ちに天龍寺を建立しました。 夢窓国師を開山にして、後醍醐天皇の霊を祭ったのです。 幕府はその後も永らく後醍醐天皇追善の法要を続けました。


小松和彦さん
「 お墓や後醍醐の亡骸とかは南朝が持っておりますので、 そこに行って、遺体を持ってきてお祭りするということはできませんでしたけども、 少なくとも、足利尊氏の側からすれば、後醍醐天皇の霊をお招きし、 できれば遺骸も持ってきて、お墓を建てて、きちっと霊に対する供養をしてあげたいと、 だから怨霊にならないで欲しい、という思いを込めて造った寺です。 ですから、お墓でもあるんですね。 」

「 この多宝殿という処は、天龍寺の中では最も聖なる場所、最も重要な場所であると思います。 後醍醐天皇の霊が鎮まっている処と、或いは、鎮めた処という場所ですね。 」


     
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30 Aug. 2008
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