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- No. 054
神になった日本人-東から全国を照らす神-徳川家康
2008.09.15
世界遺産として知られる日光。その中心をなすのは、日光東照宮です。
ここは、江戸幕府をひらいた天下人 徳川家康を神として祭った社です。
徳川家康は、秀吉亡き後、関が原の戦いで実権を握り、260年続いた江戸幕府、長期政権の基礎を築きました。
その家康とよく比較されるのが、豊臣秀吉です。共に天下を取った二人ですが、性格はまるで対照的だったと言われています。
しかし、まったく一緒だったところがあります。秀吉は、死後自ら神になることを望み神社に祭られました。(京都・豊国神社)そして、家康も秀吉と同じ希望を持っていました。ライバルと言われた二人が、なぜ二人とも自ら神になりたいと望んだのでしょうか。
国際日本文化研究センター教授で民俗学者の小松和彦さん。小松さんは、家康が秀吉を強く意識し、秀吉を超える神となっていたところに、注目しています。
小松和彦さん
「 家康のライバルで既に天下人になった秀吉がおりました。
豊臣秀吉は、ご承知のように、生前から自ら神になることを望み、着々と宗教用の施設を造ったわけですけども。
明神というかたちで、豊国大明神という社を造って、神になることを考えてたんです。
自ら、生前から、神になって、しかも、様々な自分の想いを死後も成し遂げようということを考えてたと思うんです。 」
「 それを踏まえて、家康は、どういう神になるのか、どいう効果をもったのかという、たぶん知ってたと思うんですね。 まず第一に、家康は、秀吉の造った豊国社を破却しております。壊しております。 それは、十分にその効果をそのまま残してたら、極めてまずいということも知った上で、 その、ある意味では、効果を自分自身は逆に取り入れて神になろうとしていたんだろうと思います。 そのへんのことが、この東照宮という場所、日光という場所を考えてみることによって、明らかになると思います。 」
正に豪華としか言いようのない国宝陽明門。 漆の上に、鮮やかな彩色が施された装飾がみごとです。 その先には、唐門、拝殿、本殿が並びます。 これらも全て国宝。 三大将軍家光が、徳川家の威信をかけて改築しました。
本殿の裏手を更に登っていく石段があります。江戸時代は、大名でさえ登ることを許されなかった聖域です。
徳川家康は、奥社と呼ばれるここに埋葬されています。
小松和彦さん
「 ここは大変大きなお墓です。家康のお墓です。奥社というふうに言ってるんですけども。
他の所で言えば、廟所とか、そういうふうなかたちで呼ばれるところだと思います。
ここの奥社ですけども、将軍しか基本的にお参りすることができない施設でした。
ですから、他の者も大名も来ることができない、お参りする場合には下の東照宮の本社からお参りをするといかたちでした。
ですから一種の閉ざされた空間と言うんでしょうか、極めて、徳川将軍、それこそ将軍だけに許されていた空間というふうに考えていいと思います。 」
「 家康は、自分のふる里である駿河の久能山というところに、 自分が亡くなったら遺体を埋めてくださいと、葬式は、江戸幕府が 開かれた江戸の芝 増上寺で葬式をやって欲しいと、 それから、位牌は三河の大樹寺という寺に納めてくれと。 で、日光に自分の神に祭った祠を造ってくださいと。 」
「 家康は、日光に来たことは全くないんですね。 でもやっぱりこの日光という場所を非常に重要視していて、 そこに祭られることを考えていたというか。 ですから、東照宮というのは、このお墓を中心にして、 宗教施設ができたんですね。 」
1616年4月17日、家康は亡くなりました。家康は、死後のことを遺言に残しました。
『 一周忌を過ぎたとき 日光に小さな堂を建てて 私を勧請せよ そうすれば 関八州の鎮守となろう 』
日光は昔から山岳信仰の聖地として知られていました。その日光に家康はなぜ注目したのでしょうか。
小松和彦さん
「 奈良時代の中ぐらいから、一番最初は勝道上人(山岳仏教の僧)というお坊さんが、
山に入って、この山を仏教の聖地に変えたと言われているんですけども、
ずうっとだいたい、山岳を修行の場にする修験道の聖地として、
中世の終わりぐらいまでは、盛衰を繰り返していたというふうに言われています。
平安時代には、初めに空海(真言宗の開祖)がこの山を登って修行をしたとか、
或いは、円仁(天台宗の僧)が山に登って修行をしたとか言われてます。 」
東照宮のすぐ隣にある二荒山神社。ここは、奈良時代から男体山を修験の道場とする山岳信仰の流れを汲んだ神社です。
そして、東照宮参道の脇に大きな伽藍を構える天台宗の寺 輪王寺。
平安時代以来という密教の寺です。
日光は、そもそも山岳修験、神道、そして仏教が融合した複合的な宗教空間だったのです。 そして更に、家康がこの日光に祭られることになったもう一つの意味があります。
小松和彦さん
「 日光という場所、江戸から見ますと鬼門の方角になるんです。
まず徳川家は、江戸城の鬼門の方角に比叡山のいわば関東版というのでしょうか、
江戸版で、東の比叡山、東叡山、これ寛永寺でありますけども、そこを造るんです。そこで鬼門を守らせると。 」
「 更に、東北地方は昔から、正に征夷大将軍の「夷」というのは東北地方を指してわけですけども、 その東北からの進入を守るという意味を込めて、日光に江戸の鬼たちの進入を守るための聖地を造るということで、 既に存在していた修験道の聖地を、徳川政権の聖地に造り代えていったというふうに理解することができます。 」
関八州の鎮守となった家康。その家康には、当時さらにまだ抑えるべき対抗勢力がありました。
戦国乱世の中、信長が上洛を果たし、その後を引き継いだ秀吉が、 天下統一を成し遂げます。 そして、その秀吉亡き後、関が原の戦いを制して天下を治めたのが家康です。 しかし、天下取りを目指していた彼らの前にに立ちはだかる、彼らをいつも悩ませていた存在がありました。 一向宗です。
一向宗とは、室町時代から農民や商人を中心に急速に発展した仏教勢力です。 武士たちの支配に強力に抵抗したため、天下統一の大きな妨げとなっていたのです。
小松和彦さん
「 家康もそうですけども、家康だけじゃなくて、その前の天下人になります秀吉、
さらにですね信長もそうなんですけども、
自らが天下を取るために、一番頭を悩ませたのは、宗教勢力だったんです。 」
「 一向宗は特に強力な勢力でした。加賀の国はもう武士はおっ払われて、 一向宗がその地域を支配するというようなことがありましたし、 各地でそういうような一揆というんでしょうか、 宗教勢力による武士を打倒するような動きがありましたので。 」
「 一向宗という勢力は、非常に、阿弥陀の浄土が自分たちの往生していく場所だと、 その阿弥陀のために、この世も阿弥陀の浄土のようなものをつくろうと いうようなかたちで一致団結して平等主義的な、身分的なものを全部打倒して、 宗教王国のようなものをつくろうとしてたんですね。この世に。 」
「 ですから、当然武士たちと相容れない考え方で、 武士などは、徳川時代などは士農工商といった縦社会を非常に強調しました。 主従関係とかです。それに対して、一向宗は特に平等というんでしょうか、 同じ阿弥陀の下に平等だ、みたいな考え方を強調したので、 もう相容れないといってもいいぐらいな考え方だったわけです。 ですから、それを妥協しながら、武力によって制圧し、かつ妥協しながら、 天下を取っていかなきゃいけない。 」
武士による支配を否定する一向宗は、各地で反乱を起こしていました。 一向一揆です。 宗教の下に結束する彼らには、妥協や幸福はありません。 戦いは泥沼化するばかりでした。
秀吉が考えたのは、そうした宗教勢力を抑える逆転の発想でした。 自ら神になることで、あらゆる宗教を超越する存在になろうとしたのです。
神として祭られた秀吉の墓(豊国廟)は、京都 阿弥陀が峯の山頂から一向宗の本山本願寺を睨むところに建てられました。
その秀吉の巧みな手法をそっくりまねたのが家康です。
小松和彦さん
「 織田信長にしても家康にしても、或いは秀吉にしても、
一向宗とか、そういった宗教勢力に対しては物凄く神経つかってたんです。
そういうことに対する、いわば、より自らも強い神格になることによって、
少しでもそれを抑えたいというような思いがあったんだと思うんです。 」
先に神になった秀吉は、豊国大明神になりました。 「明神」とは、神道の中でも古くからある由緒正しい神の名称です。 それに対して家康が選んだ神は、東照大権現。 「明神」にするか、「権現」にするかには、大論争があったと言います。
権現という神を家康に強く勧めたのは、天海という僧。晩年の家康のブレーンです。
小松和彦さん
「 家康は、自分がどういう神になるか、どういう性格の神になるか、ということに関しては、
だいぶ前から、晩年ですけど、何人かの宗教者を自分の相談役にしておりました。
その一人が、天台宗の天海というお坊さんです。 」
「 「権現」というのは、これは天海の知恵だと思うんですけども、 秀吉が神道の影響を強く受けて「明神」というような神様になったんです。 それとある意味では、差別化するというんでしょうか、 もう少し違った特徴の神になろうと、いうようなことを考えたようであります。 」
「 豊臣家は滅びたのに、「明神」にするというのはあまり好ましくないので、 「権現」というような、いわば違った神にした方がいいと。 神仏習合をした、神でもあり仏でもあるというような「権現」を選び出していったんです。 」
縁起の悪い「明神」を避けるのはのちろん、家康には死後も秀吉を超えたいという強い思いがありました。 「権現」は、神仏習合の中から生まれてきた神の名称です。 権現の「権」は、「仮に」、「現」は「現れる」という意味です。 本来の仏が、姿を変え仮に現れたものを指すといいます。
小松和彦さん
「 権現というのは、仏様が仮に人間とか或いは昔ながらの日本の神様に姿をとって現れたもの。
本当は、仏様だというようなことを表した修験道の中で生まれてきた神様の名前です。
日本でいろんな神様が、昔からあるけれど、それは仏教でいうところの「『大日』すよ」とか、
「『薬師』ですよ」とか、或いは「『観音』ですよ」とか、というふうにして、
説明し直す事で神仏習合していったんです。
仏教側が、昔からの日本の神様を仏教に取り込んでいくという、まさに巧みなやり方だったというふうに考えていいかと思います。
だから、家康も徳川家に生まれて活躍したのは、実は「薬師様」の仮の姿なんだ、
というふうな考え方です。 」
「 更に、これは頼朝以来の将軍の拠点を造る、幕府を造るということでありましたので、 西の京都、公家社会、そういったものを非常に強く意識して、東から西を照らす強い権力なんだ。 ですから「東照大権現」というのは、東の強力な将軍という勢力が、全国を治めてるんだ。 西を睨んでいる、という意識が強く表れた名称だったと思います。 」
徳川幕府の礎を築き、死後は東から全国を照らす神となった徳川家康。その構想は、秀吉をも超える壮大なものでした。
小松和彦さん
「 権力者が、自分の人生を全うする中で、生前から神とか、そういう神格を目指した人間というのは、
非常に例外的な存在だと僕は思います。
秀吉、家康、両方が神格を目指したのは、一つには宗教勢力に対する対抗と同時に、どういうものになるかというふうに考えた時に、
秀吉は、いわば明神ですから、神道を選びました。
ところが、それをまた否定して、もう一つ、天下人になった家康は、そのを乗り越えるための神格を捜さざる終えなかった。
その時、天海なんかが探し出したのが「権現」という修験道的なものだったと思うんです。 」
「 僕は、日本の宗教を、神格を考えてく時、「権現」というのは非常に大事な神格で、 ある意味では、完成された神格だったとふうに思っとります。 修験道も取り込み、神道も取り込み、仏教も取り込み。 その合体作みないなものがこの東照大権現というかたちで実現した。 権力者が目指した神格という意味では、非常にある意味では、完成形だと思っとります。 」
「 秀吉は、自分が生前から神になりたいということを遺言していきます。 豊国大明神という豊国社を造ります。 あれは京都に造る。やっぱり京都のコスモロジー、京都の人びとを意識して造りました。 」
「 家康は、そういう小さな世界だけじゃなくて、日本を眺め渡す中で。 日光は、そういうものの後ろ側にあって鬼門を守る神。 あまり表に出さない。むしろ、全体、江戸の町を含めた日本、徳川政権、の聖地の一つと。 鬼門を守る聖地というような。 そして東を重視してですね。東から、今度は西も見ると。北を意識する。 なんかコスモロジーとしては大きかったような気がいたします。 」
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