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神々のうた、大地にふたたび
アイヌ少女・知里幸恵の闘い


知里幸恵(1903~1922)
編集:2008.10.15



雄大な大地、北海道。
この地で、遠い昔から狩や猟を生業に暮らしてきた人びとがいます。
アイヌ民族です。
アイヌの人びとは、自然のめぐみを神々からの授かり物と考えていました。
神々と共に生きる営み。
それを口伝えの伝承という形にして、民族の文化を守り継いできました。

しかし、そんなアイヌの暮らしが一変する時代が訪れます。
明治維新です。

富国強兵を目指す明治政府は、北海道を日本の領土に組み込み開拓に乗り出します。
アイヌが暮らす土地は次々と奪い取られていきました。
さらにアイヌの人びとは日本人になることを求められ、名前も日本式に改め日本語を強要されます。
次第に民族の誇りは失われていきました。

そんな中、アイヌ民族を立ち上がらせることになる一人の少女が現れます。
知里幸恵
彼女は19歳でアイヌの伝承を本にまとめ、民族の豊かな世界を初めて世に問いました。

幼い頃から、アイヌは劣った民族だと教え込まされてきた幸恵。
或る日転機が訪れます。
言語学者、金田一京助との出会いです。

「アイヌとは数多くの伝承を語り継ぐ立派な民族なのだ」

幸恵は、金田一とアイヌの伝承を本にするため上京します。
近代都市 東京。
そこで幸恵が見たのは、物が溢れる一方で余裕を失った人びとの姿でした。

幸恵は伝承を通して人びとに問いかけようとします。
人間の本当の豊かさとはなんなのか。

しかし、重い病が幸恵を襲います。
幸恵は死を覚悟しながら「アイヌ神謡集」の出版に挑むのです。

日本の近代化の下で消し去られようとしたアイヌ。
失われた民族の誇りを取り戻そうと立ち上がった一人の少女の戦いを描きます。

 

今からいよそ100年前。
祖母の語る昔話に静かに耳を傾ける少女がいました。
知里幸恵。
幸恵は幼い頃からアイヌの伝承を聞いて育ちました。
そして、大地を自由に駆け回る祖先の姿に想いを馳せていました。

アイヌ民族は遠い昔から蝦夷地 現在の北海道を中心に独自の文化を育んできました。
人びとの暮らしは狩や猟。
自然のめぐみは神々からの授かり物として大切にしてきました。
あらゆる物に神々が宿ると考えるアイヌの人びと。
その神々との営みを口伝えに語り継いできたのが、カムイユカラという伝承です。
アイヌの人びとはこうした伝承を通して民族の文化を守り続けてきました。

ところが、近代国家建設を推し進める明治政府が蝦夷地の掌握に乗り出したのです。
明治2年(1869年)、蝦夷地統治の方針を示した文書です。
「蝦夷地は、皇国の北門である。しかし土人であるアイヌは、往々にして日本人を怨み離反する。禍を未然に防ぐには、この地を速やかに開拓する必要がある。」
政府は、蝦夷地を『北海道』と改め、ロシアの南下に備える軍事拠点、更には、国力増強を図る開拓地としました。
そのためには、異民族アイヌの統治が急務とされたのです。

そして政府は、アイヌを日本人に組み入れるいわゆる同化政策を推し進めます。
名前を日本式に改め戸籍に編入。アイヌ語ではなく日本語の使用を指示します。
この同化政策によって、アイヌ固有の文化は否定され、次第に民族の誇りは失われていきました。
北海道には、本土から軍隊や開拓民がぞくぞくと送り込まれます。
アイヌが暮らす土地は、開拓民に分け与えられました。
アイヌが、神々が宿ると敬ってきた森や原野は次々と切り拓かれ、田や畑に変えられていきました。
アイヌの人びとの生活は、次第に困窮していったのです。

この頃、開拓民が記録したアイヌの人びとの姿です。
「次第に食が絶え、飢餓が迫り、ただ座して死を待つが如し」

アイヌの統治が行き渡りつつあった明治43年(1910年)4月、旭川。
7歳になった知里幸恵は、小学校に入学します。
旧土人学校。
アイヌの子供を教育により同化させるための学校でした。
幸恵はここで日本語の読み書き、日本の歴史や文化を教え込まれました。
それでも、アイヌの子供たちは旧土人と見下され、開拓民、いわゆる和人による差別にさらされました。
アイヌは劣った民族。
そう思い込まされて育った幸恵は、見下されることのない立派な日本人になろうと努力し続けました。

大正6年(1917年)4月。
14歳になった幸恵は、旭川で名の知れた女子職業学校に合格。この学校にアイヌの女性が入ったのは初めてのことでした。
しかし、ここでも幸恵は差別から逃れられませんでした。
同級生に受け入れられず一人孤立する幸恵。
或る日、胸をつく一言が投げつけられます。
「ここは あんたの 来るところじゃないわよ」
立派な日本人になれると信じて入った学校で味わった屈辱。
幸恵は日記にしるしています。
「貴方方と私の間には 目に見えない厚い壁が築かれていた」
「くやしい」

いくら努力してもアイヌというだけで差別にさらされる現実。
そんな幸恵の心を唯一癒したのは、夜家族と囲炉裏を囲むひと時。
祖母の語るカムイユカラの世界に身を委ねる事でした。

「むかしむかし 獲物が捕れなくなって アイヌが困っていると フクロウの神さまが見かねて その訳を探ってくれました シカやサケの神さまは アイヌが獲物を捕ったとき 無駄にしたり粗末にしなければ 再び獲物を送り届けてあげようと言います フクロウの神さまにこれを聞いたアイヌが 獲物を捕ったとき 大切に無駄なくあつかい 神さまへの感謝を忘れないようにすると シカやサケが帰ってきました この後 アイヌは幸せに暮らしました」

敬いの心を持ち続ければいつかは救われる
幸恵はそう信じていました。

 

北海道大学大学院教授 小野有五さん
「 アイヌの人たちはもともと北海道に住んでいた人たちですね。 川に上ってくるサケを捕ってそれを干し鮭にしたり、ヒグマの熊の胆を捕ったりして、 そういうものを商品にして周りの民族と交易をしていた人たちです。 サハリンを経てアジア大陸まで行ったり、千島列島を経てカムチャッカまで。 非常に広い範囲のネットワークを持っていた人たちですね。 」

「 明治政府はまず近代国家を創ろうとします。近代国家というのはまず国境が問題なわけです。 当然ロシアもどんどんと領土を拡張したい。明治政府は、早くしないと蝦夷地をロシアに取られてしまうかもしれない。 ですから早くこれを日本のものにしてしまいたい。ということですね。 」

「 蝦夷地は、もともとアイヌ民族という違う民族が住んでいた土地です。 それをアイヌ民族と相談なしに勝手に日本にしてしまった。 これは別の言葉で言えば植民地化ですね。 つまり植民地にしてしまって、近代日本を創るためのいろんな資源、 自然資源が北海道にはある、それを独占したいわけです。 ということは、アイヌ民族ははっきりいって邪魔者になったわけですね。 そうなると、生活の手段を奪ってしまえばいいだろう。 つまりアイヌの人たちが一番大事にしていたサケを捕る権利、 クマを捕る権利、シカを捕る権利を奪ってしまう。 そして今度は、言葉を奪い、名前を奪いと人間としての尊厳を奪ってしまった。 そうすると、アイヌの人は自然に消滅するだろうと。 こういう巧妙な政策を考えたわけです。 」

 

大正7年(1918年)夏。 旭川の幸恵の家に東京からひとりの学者が訪ねてきました。
言語学者 金田一京助です。
金田一は近代化で失われていく伝承や言葉の記録を続けていました。
この日金田一は、アイヌの言葉を調べるため伝承の語り手である幸恵の祖母たちを頼ってきたのです。
金田一は、幸恵の祖母たちが語るアイヌの言葉や習慣を聞き取り、記録していきました。
傍らでその様子を見ていた幸恵は、驚きを隠せませんでした。
これまで否定されてきたアイヌの文化を学者が必死に学ぼうとしていたからです。
あくる朝、帰り間際の金田一に問いかけます。
「私たちの伝承は、そんなに値打ちのあるものなのでしょうか」
金田一は応えます。
「あなたたちアイヌの伝承は、貴重なものです。あなた方がけっして劣った民族でないというなによりの証拠なのです」
金田一の言葉に、幸恵は涙を溜めてこう語りました。
「私はこれまで自分たちアイヌのことは何でも恥ずかしく肩身の狭いことだと思ってきました。でもそれは間違っていたと気づき、いま目が覚めました」
いつか自分のアイヌ語研究を手伝って欲しい。
幸恵は金田一から卒業したら東京に来るよう求められました。

大正9年(1920年)3月。
17歳の幸恵は女学校を卒業します。
しかしこの頃、幸恵は心臓を患い金田一の研究を手伝うという約束を果たせずにいました。
そんな或る日。
金田一からまっさらのノートが届きます。
幸恵に期待する金田一は、東京に来られないまでも幸恵の力を借りたいと考えたのです。

それまで、耳だけで聞いていたカムイユカラなどの伝承。
幸恵はそれを初めて文字にしてゆきました。

北海道立図書館。
ここに、当時幸恵が記録したノートが納められています。
ノートに左側に書かれているのは、アイヌ語による記述。
文字のないアイヌ語の音を正しく表すため、幸恵はローマ字を使いました。
右側には幸恵自らが訳した日本語訳が記されています。
さらに、ノートの余白には祖母たちから教わった風習の内容について詳細に記されていました。

消し去られていくアイヌの風習。
それらを学び記録することで、幸恵はアイヌの豊かな文化をより深く理解していきます。
幸恵の言葉です。
「美しい大自然に抱擁されて生活していた私たちの先祖は真に自然の寵児。なんという幸福な人たちであったでしょう」

大正10年(1921年)4月。
東京の金田一のもとに幸恵からノートが届きます。
それは金田一の期待を大きく超えるものでした。
克明に記された数々の伝承と注釈は、アイヌの風習や文化を鮮やかに蘇らせていました。
金田一は考えます。
自然や神々を敬うアイヌの考え方は、近代の日本人が失ないかけているものではないか。

金田一はこのノートをもとにアイヌの伝承をまとめた本を出版する事を思い立ち動き出します。
相談したのは、日本民族学の第一人者 柳田国男
柳田は日本各地の民間伝承を残すべく自ら本の出版をも手がけていました。
金田一は熱心に説きます。
「アイヌが語り継いできた伝承を失われる前に記録して残す必要があるのです。」
柳田もその意義に賛同。
アイヌの伝承が本になることが決まりました。

この知らせはすぐさま幸恵のもとに届けられました。
「出版作業に協力して欲しい」
幸恵は金田一から改めて上京を求められました。
心臓の病の不安は消えない。
しかし、アイヌの文化を伝えるまたとない機会ではないか。
幸恵は上京を決意します。

大正11年(1922年)5月11日。
幸恵は東京に向け初めて北海道から外の世界へと飛び出しました。
それは「アイヌ神謡集」出版の1年3か月前のことでした。

大正11年(1922年)5月13日。
幸恵は東京に到着します。
金田一の自宅に身を寄せ本に納める伝承の日本語訳を練り直す作業に取り掛かります。
幸恵は金田一に伝承に出てくる言葉や風習について丁寧に説明を続けました。

ひと月近く経った或る日、幸恵は初めて繁華街に出かけます。
そこで行き交う人びとに目を止めました。
「キビキビと動作が機敏で目がキョロキョロと忙しそうな所が都会人の特徴らしう御座います。余裕がないから、都会人は神経過敏なんですって。」
幸恵は百貨店に立ち寄りました。
着飾った人びとと溢れかえる煌びやかな商品。
日記に記した言葉です。
「私はただ別な人間の住む星の世界を見物にでも来たような気がした。自分で欲しい 自分の身につけてみたいなどとはちっとも思わなかった。」
近代都市で花咲く文明。
しかし幸恵にはその価値を素直に受け入れることが出来ませんでした。

上京して2か月後の7月8日。
本に載せる写真を撮るため出版社の担当者がやって来ました。
幸恵を前に担当者はなにげなく口にしました。
「もし幸恵さんがアイヌだと名乗らなければ世間は和人だと思いますよ。そうすれば見下げられることはないでしょうに。」
その言葉に幸恵は憤ります。
「なぜアイヌを見下すのだろう。物質的な価値に振り回される都会人がアイヌより豊かだというのか。私はアイヌだ。どこまでもアイヌだ。口先でばかりシサム(和人)になったって何になる。私はアイヌであったことを喜ぶ。おお 愛する同胞よ 愛するアイヌよ。」
アイヌである自分だからこそ人間の本当の豊かさを世の人びとに問えるのではないか。
幸恵は最後の作業を進めます。

幸恵は本の冒頭に一遍のカムイユカラを選びました。
それはフクロウの神がアイヌの村を訪れる物語。
フクロウの神が語ります。
「 『銀の滴降る降るまわりに 金の滴降る降るまわりに』 という歌を私は歌いながら流れに沿って下り  人間の村の上を通りながら 下を眺めると 昔の貧乏人が今お金持ちになっていて 昔のお金持ちが今の貧乏人になっている様です。 私は貧しくみんなからばかにされいじめられている家族のもとを訪れました。 そして、彼らが神々への感謝をわすれない人びとだと知ると この家族を幸せにしてあげました。 私はいつでも人間の国をまもっています。とフクロウの神さまが物語りました。 『銀の滴降る降るまわりに 金の滴降る降るまわりに』 」
敬い、助け合い、感謝する心
幸恵はこの物語を通して、人間が本来大切にしてきたことを伝えようとしました。

ところが8月。
無理を重ねた幸恵は心臓発作を起こします。
病状は重く、安静にしていなければ命にかかわるというものでした。
それでも幸恵は病を押して原稿の最終確認を続けます。
この本を著すことは、命を失っても成し遂げる自らの使命と考えていたのです。

そして9月18日。
幸恵は原稿のチェックを全て終えます。
そして、正にその夜、幸恵の容態は急変、その日のうちに息を引き取りました。
19歳という若さでした。

大正12年(1923年)8月10日。
幸恵の死から11か月後。
幸恵がその命と引き換えに書き上げた本が出版されます。
「アイヌ神謡集」
幸恵が選び抜き死の直前まで遂行を重ねた13編のカムイユカラが納められました。
幸恵はその序文で人びとに語りかけます。
「その昔、この広い北海道は私たちの先祖の自由の天地でありました。 それも今は昔。夢は破れて幾十年。この地は急速な変転をなし山野は村に、 村は町にと次第次第に開けてゆく。 その昔、幸福な私たちの先祖は、自分のこの郷土が末にこうした惨めなありさまに変わろうなどとは露ほども想像し得なかったのでありましょう。 激しい競争場裡に惨敗の醜をさらしている今の私たちの中からも、いつかは二人三人でも強いものが出て来たら、 進みゆく世と歩みをならべる日もやがては来ましょう。」

「アイヌ神謡集」の出版は、幸恵を時の人に押し上げ、さらにアイヌ民族に対する世間の関心を集めました。
幸恵のメッセージは、まずアイヌの人びとの心を動かします。
アイヌと名乗り誇りを持って生きよう。
そう訴えるものが次々と現れ、アイヌの仲間に連体し立ち上げることを呼びかけます。
(遠星北斗、バチュラー八重子、森竹竹市、知里真志保ら)
やがてそれは、差別の撤廃や民族の復権を訴える運動へと繋がり、アイヌ民族の枠を超えて支援の輪が広がっていきました。

知里幸恵が書き残した「アイヌ神謡集」。
それは、アイヌの人びとが誇りを取り戻す力、そして、アイヌの豊かな世界を広く世に伝える大きな出発点となったのです。

 

北海道大学大学院教授 小野有五さん
「 アイヌ民族が、本当に素晴らしい文化と高い精神性を持っていたということを初めてアイヌ自身が示した。 これはアイヌ文化というものが、日本だけじゃなくて総ての人にわかるように窓口を開いてくれたという。 これが画期的なことだったと思います。 」

「 そして、1923年という時点で、この『アイヌ神謡集』の最初に『その昔この広い北海道は私たち先祖の自由の天地でありました』 という、彼女が書いた、これは正に先住民族宣言だったと思います。 これはアイヌの人が初めて明確にそういうことを言い切った。 この力がものすごく大きいと思います。 」

「 今の経済優先、そして違った民族や文化を認めないで全てを画一的に考える今の風潮というのが、 いろいろな紛争を引き起こしている。 もういっぺん、先住民族の価値観というものを、自然を大事にする、また違った文化を大事にするという。 それは正に幸恵さんが1923年に言ったことと同じだと思います。 」

「 知里幸恵が私たちに伝えているメッセージというのは、 今も私たちを変える力があるし、今彼女のメッセージを受け取ることで、 ひとり一人が平等な社会、そして違った民族、違った文化、違った個性を認める社会をつくっていくという、 とても大きな原動力になると思います。 」

 

『銀の滴降る降るまわりに 金の滴降る降るまわりに』
敬いと感謝を忘れぬ人びとには必ず幸せが訪れる。
本当の豊かさとは何か。
私たちに問いかけています。

 

Posted 29 Oct. 2008
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