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ニッポンを主張せよ
アーティスト 村上隆


編集:2008.11.11
掲載:2008.11.13



作品 「My Lonesome Cowboy」。
今年、ニューヨークのオークションで16億円という高値で落札されました。
作者はアーティストの村上隆さん、46歳。
一見するとアニメのキャラクターを思わせる絵画。
かわいらしさを全面に出した少女のフィギュア。
村上さんは日本のアニメや漫画のイメージを取り入れた現代アートの作品を次々と生み出してきました。
さらに、フランスの有名ブランドのデザインに進出。
作品は世界中で絶大な人気を誇っています。
時代の先端を走ってきた村上さん。
今、世界が直面している金融危機は新たなチャンスだと言います。


村上隆
「 アートのマーケットは完全にクラッシュしたんで、どうやって生き残ろうかって。 本当におもしろい時期がまた戻ってきたなと思って。興奮してんで。 そういう意味じゃ今結構ハッピーかも。もうわくわくしてるっていうか。 パラダイムシフトが起きる瞬間ですから。 いよいよ僕がルールを作り変える瞬間がきたのかなって思って。 もう腕まくりして。興奮してます。 」


ニッポンを世界に発信し続けている村上隆さん。
今、どのようなメッセージを投げかけようよしているのでしょうか。

村上隆さんが運営するギャラリーです。
こちからにあるのは、村上さんの作品。
カラフルでポップ。そしてカワイイ花のキャラクターがとても印象的な作品です。
村上さんんはアニメやマンガ、ゲームといった、いわゆるオタク文化といわれる、私たち日本人にとっては非常に身近な娯楽、エンターテイメントを現代アートに取り込み、そして芸術の世界で通用させるという、これまでの美術の枠、美術のコンセプトを広げる形で世界に挑戦してきました。
明治以降、数多くの芸術家が世界の美術界に挑戦してきましたけれど、欧米美術界の壁は非常に高く、そして厚く、高い評価を得られた芸術家はほとんど居ませんでした。
村上さんは、日本の現代の文化を現代アートに高めることで、世界で日本人として初めて高い評価を得たのです。
アートの市場に出せば高値で落札される村上さんの作品。
しかし、ここ数年続いてきました現代アートブームは、金融バブルの崩壊で今大きな痛手を受けています。
厳しい状況の中で、現代アートの分野で新たな世界を切り開こうと、今新たな挑戦を始めた村上さん。


欧米に売り込め 村上隆の足跡


オフィスに届いたカラフルな物体。
村上さんがデザインしたキャラクターで飾られた着ぐるみです。
来月アメリカで行われるアートのイベントで本人が着ようというのです。
村上さんは、アニメやマンガに代表されるニッポンのカワイイ文化を世界に向けて発信しています。

小さい頃からアニメが大好きだった村上さん。
もっとも影響を受けたのは、 「銀河鉄道999」 です。
星が爆発するその映像の美しさに感激したと言います。

その後、東京藝術大学の日本画科を卒業し、29歳の時、アーティストとしてデビューを果たします。
当時の村上さんの作品です。
何かを表現したいと試行錯誤を繰り返していました。

飛躍するきっかけになったのが、35歳の時に造った作品「Ko2ちゃん(Project Ko2)」。
人間の普遍的な欲望を表現できないか、と造ったフィギュアでした。
「透明感のある目」 に 「張りのある胸」
モチーフに選んだのは若者に人気のアニメやゲームのキャラクターでした。

手ごたえを掴んだ村上さん。
39歳の時、欧米への進出を目指しアメリカで展覧会を開きます。
その時の解説書です。
葛飾北斎の浮世絵と自らが影響を受けた銀河鉄道999を並べました。
アニメやマンガの構図や表現方法は、浮世絵から連なるニッポンの伝統美であると説明したのです。

そして2005年にニューヨークで開いたLittle Boy(リトルボーイ)展で、その地位を確固たるものにします。
リトルボーイとは、アメリカが広島に落とした原爆の名称です。
敗戦を経て、戦争を放棄し、平和国家となった日本。
その歩みの中から、アニメやマンガといった独自の文化が生まれたという考えを示してみせたのです。
ニューヨークタイムズなどのアメリカのメディアは、村上さんを絶賛しました。
大胆不敵で日本の文化や歴史への理解が深まるすばらしい機会になるだろう。
日本を主張する村上さんの戦略は成功を収めたのです。


ニッポンを主張せよ


なぜ日本のカワイイ文化が通用したのか。海外にとっては新しい新鮮なものとして見られたのでしょうか。


村上隆
「 一番大事なことは僕ら日本の芸術をやってる人間たちが、戦争に負けたであったりとか、 明治維新の時に、やっぱり西洋的な文化の構築の仕方の方が優れていると信じ込んでしまったりだとか、我々の独自の文化を忘れてしまった時に、自信なくしちゃったんですよね。 僕は自信を持って僕らの文化を花開かせてあげれば、世界の人間が一番今求めるものがあるというそのきっかけを、西洋の人たちが望んでいたっていうことじゃないかと思います。 」


日本自身からみるとサブカルテャをハイ・アートにして欧米の美術の世界に理解をしてもらおうと。かなり戦略的にプレゼンされたんですよね。


村上隆
「 世界一有名なアーティストはピカソですよね。 ピカソは何やったかというと、イメージの搾取、再構築なんですよね。 彼が巧妙だったのは、アフリカのアート、いちばん当時ムーブメントとして大きかったアフリカのアートを取り入れたというのが世界中がびっくりしたわけです。 それが、西洋絵画の風体をしてプレゼンテーションされたので、世界中の人が大事な芸術のムーブメントを起こっているような気持ちがしたんですよね。 」

「 ですから、僕が思ったのは、僕は正直ピカソとかの絵画よりも日本のマンガの方が好き。 なんで好きなんだろうということを自分の中で何度も何度も考えたんです。 ニューヨークに渡った時に、やっぱり日本のマンガの方が好き。 でも自分はマンガ描けない。 自分のやる仕事は何だろうといったら、ピカソの様に日本のアートをアフリカの土着的な芸術の様に考えて、それを油絵風味で通訳してあげることで、ある種の化学変化起きないかというのが僕の作品なんですよね。 」

「 ですから、やてることはピカソのやってることと全く同じことだと思います。 」


しかし、どんな戦略で自分がやれば世界に通用すると思われたのですか。


村上隆
「 自分の発表の仕方というのは、いろいろ自分がテーマ設定して作品を造り始めるんですけど。 それをプランA、B、C、Dぐらい4つか5つぐらいに分けるんですよね。 それでウケタものだけ生き残らしていく発想にしてるんで、 マンガをテーマにして 「どぶくん」 というようなもの、  「美少女フィギュア」 というようなもの、  「ポルノチック」 のもの、 「マンガの中にある情緒的」 のようなものといろいろやったんですよ。 その中で、一番最初に当たったのが美少女ものだった。 それで美少女ものをどんどん加速させていろいろ分派させたら、3年ぐらいで寿命尽きるんですよね。 そうしたら、その中でそれが一番また生き残る遺伝子なのかなと 見えてきて、それにまたオンしていく。 」

「 今現在は、抽象絵画っていうところを。源流は美少女アニメなんですけど。 美少女アニメから端を発して抽象絵画を描いて。 それが僕のメインの仕事になってますが。 生き残らせるための、ずっとトライ・アンド・エラーですかね。 」


日本人自身、マンガのことについて自分たちの深いアイデンティティとどう関わっているか。おそらく気が付いてないかもしれませんよね。


村上隆
「 例えば、バットマンの最新作とかは、今戦争に疲弊して、 正義とは何かということに対する疑問というのが大きいテーマになっていますけど、 日本のマンガには 「正義とは何か」 というテーマなんかないわけですよ。 最終的には、人と人が分かり合えたい。 隣にいる友人や恋人でも分かり合えない。 そういうすごくセンシティブな心の交流というのがテーマにいつもなってるんですよね。 ある意味での人間の普遍的なコミュニケーションというのがテーマになっていて、 そういうセンシティブなところまでいけてる理由は何かというと、 平和な国というか、みんなが優しい国民とか、 気性も激しくなかったりというところで、できてきた文化だと思うんですよね。 」

「 最終的には、人間やっぱり穏便に暮らしたいでしょうし、 平和に仲間と一緒に楽しく暮らしたい、というのがあるでしょうから。 そういう平和な国から出てきたコンテンツ。 毎日平和に暮らしていて、その中でもいろいろつまらない事件があるけれども、 本人にとっては大事件だよね、っていう共感を持てるようなマンガとかっていうのが、 世界的に爆発的にヒットしていると思います。 」



芸術のビジネス化 村上隆の戦略


芸術はマネーとの関係なくしては進めないと語る村上さん。
7年前に会社を設立。
130人のスタッフを抱え、東京だけでなくニューヨークにもオフィスを構えています。
作品の製作は別の場所にある工房で行われ、村上さんは電子メールで指示を出していきます。
工房(埼玉県三芳町)では、24時間体制で作業が進められています。
色を塗りつけていく人。
仕上げを行う人。
作業は徹底した分業体制で行われます。
欠かせないのが細かいノウハウが記された製作マニュアルです。
村上さんが現場に居なくても質の高い作品が効率よく作れるようになっています。
こうして作られる作品は、世界各地で高値で販売されてきました。
しかし今大きな変化が押し寄せています。

先月(2008年10月)、香港で行われたオークション。
出品された村上さんの作品の予想落札価格はおよそ3億円。
しかし買い手が付かず取引は成立しませんでした。
世界的な金融危機という時代の変化に直面している村上さん。
それでもこれまでと同じペースで作品を作り続けています。

世界的な金融危機でアートの世界にどんな影響が出ましたか。


村上隆
「 完全にストップしましたね。株式市場よりも悪いっていうか。動かなくなりました。 オークションも前回よりもガックと落ちまして。悪いニュースばかりじゃないですかね。 」


バブルがアートの世界にもあったと感じていますか。


村上隆
「 完全にバブルですよね。 ようするに価値ていうのを、ある仕掛け人が居て、値段を作っていくというのは、 身をもって体験したんで、構造するのものがよくわかりましたんで、 自分がその中に乗っちゃってるっていう、その恐ろしい感じが、 バブルが弾けてくれたんで解除されてホッとしてるっていうか。 」

「 やっぱり乗ってる時は気がきじゃなくて。 なんか、落ちる落ちるていわれている飛行機が本当に落ちそうになってて、 落ちたけれども生きててよかったなぐらいな感じですかね。 」


アーティストと市場との関係というのをどう考えてますか。


村上隆
「 例えば、宮崎駿さんでもそういうマーケティングというものは、 彼自信にインタビューしたら考えてないと言うと思いますが、 明らかにクリエイターの中でサービス精神旺盛な人は、 どこかでそういうバランスを作ってると思います。 」

「 やはり彼の作品の時代背景をずっと見ていけば、 時代にピタッと折り重なるようなテーマ設定というのがずっとしてると思うんですよね。 」

「 やはりその時代に即して、芸術とは何かということを、 現代そのものと呼吸を同期させて、マーケティングして、 ビジネスもしっかり考えてやっていくことじゃないかと思うんですね。 」


普通、芸術家は自分の描きたいものを描いて、自由に発想して、そしてお金には無頓着ていうようなイメージが日本では強いと。普通、芸術家はそういう人たちなのかなというイメージもありますけれども、村上さんは、あえてそうであってはいけないと。


村上隆
「 そうですね。絶対あってはいけないと僕は思います。 ものすごいコストがかかると思うんですよ。 一個一個にはコストがほとんど無いに等しいかもしれないけども、 それをアレンジメントする時に、自分はどうしてもこれがなければいけないというものを求めると、いろんなストレスがかかりますんで、 なので、インク一つとってみれば別に取るに足らない金額だと思いますけども。 なんでそのコストがかかっちゃかというと、ポスター1枚でも大体15回ぐらい最低刷り直しさせてもらって、 それで、もうちょっとここのところのインクを厚くして下さい、っていう話はさせてもらうんですよね。 」

「 一番うれしいことは、出来上がってきたものが、ものすごく自分が今まで考えたことも見たこともないものを、自分が作れた、ていう、 ある種の奇跡を楽しむっていうのがあると思うんですけど。 そこに立ち合わせていくっていう瞬間を作るのが僕は一番好きなんですよ。 ですから、自分自身がこの絵はいい絵が描けたなんて全然面白くもなんともなくて、 みんなでやっていって、僕自身も作ることができなかったと思ってたものが出来ちゃった、という瞬間に立ち会うためには、 そういうセッティングを大量に整えていかなければいけない。 」



村上隆 新たな挑戦


村上さんは、今、初の長編アニメの製作に取り組んでいます。
Kaikai と Kikiというキャラクターが、宇宙船に乗って冒険する作品です。
アニメの製作のため、専門のスタジオまで設立。
アーティストとしては異例の取り組みです。

今年46歳。
デビュー18年目。
村上さんは今なお新たな表現手段を求め続けています。


村上隆
「 今、映画とアニメーション作ってて、 やっぱり物語を伝えるっていうことにトレーニング積んでる最中なんですよね。 やはり、絵画や彫刻で伝えられるメッセージというのは限られてますし、 本を読んでくれてる方も限られてるわけですよ。 映画にすると、1万人にしか届かないメッセージが、20万人、30万人届くことになるんだったら、 映画っていう文法を借りて自分のメッセージを伝えたいと思ってるんで、 その意味では、映画やアニメーションを今作ってて、それをなんとか完成させたいという気持ちが強くありますね。 それは今までやってきたことのないコンテキストなんで、すごく難しいですよね。 」


村上さんは、宮崎駿さんを尊敬していて、宮崎さんは、若く貧乏であり無名であることが創造的仕事をする3つの条件だと言った、毛沢東の言葉をおっしゃってるそうなんですけども。 もう村上さんは、3つの条件とも当てはまらなくなって。もうメジャーになられて今後自分をどのように高めていきたいと思ってますか。


村上隆
「 今まで話してきたことと全然別なことに僕は興味があって、 それは人間の寿命が延びてしまったという事実に対してのサバイバル。 どうすんのかな、っていうのが僕の今の一番の興味の対象なんですよね。 :」

「 日本でも100歳以上が何万人も居ますよね。 そういうライフスタイルに突入したのは、歴史始まって以来だと思うんです。 これが僕らの新しいパラダイムシフトに備える一番の大きいテーマだと思うんですよね。 :」

「 そういう世界の中で、我々芸術家が担えるメッセージって何だろう。 それを考えると、今からやるべきことっていうのは、外に出ていったり、 世界にどうのこうのというよりも、  「エイジング=老い」 に対して、どういうふうに闘っていくことができるのかな。 ようするにその備えを、心持をどうやってやってけばいいんだろうというのを、 すごく感じるんですよね。 :」

「 ですから、アニメーションを作ってる時も、 子供に我々は年老いていく、遺伝子を引き受けてなぜ生きていくのかっていう意味を、 宗教の世界であるとか、医学の世界であるとかっていうところのエッセンスを全部盛り込んで、 伝えてみたら、子供たちはどうやって育つのかな、っていうのをやってみたいと思っているんですよね。 :」

「 僕らも手塚治虫さんの作ったアニメを見て、 人間とロボットに差別があるのはなぜだ、とかね。  「差別」 ってあるんだ、って知ったわけですよね。 それと同じ様なテーマを子供たちに伝えてみたいな。 :」

「 我々は実は今から、君が苦しむべきは加齢かもしれないけども、 準備はいい、っていうことを言ってみたらどういう子供が育つのかなっていうのは知ってみたいですね。 :」


時代に即して芸術とな何かを問い、現代そのものと呼吸を合わせて現代アートの分野新たな表現方法を模索している村上さん。
世界に胸を張って自分の芸術を認めてもらうことは素晴らしいこと。
まだ当面チャンスはあるとして、村上さんは自らの人脈を活かして日本人の若い芸術家を世界に積極的に紹介する活動も行っています。 日本は世界一の芸術大国になる可能性を持っているが豊か過ぎてそのことにまだ気が付いていない。とも語っていました。

 

Posted 13 Nov. 2008
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