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I Have a Dream
キング牧師のアメリカ市民革命


ワシントン大行進(1963年8月28日午後4時前)、キングが「I Have a Dream」の演説を行う。
編集:2008.11.12
掲載:2008.11.15



2008年11月4日行われたアメリカ大統領選挙。
そこでアメリカ史上初の黒人の大統領が誕生しました。
第44代 アメリカ大統領 バラク・オバマです。

2008年11月1日、アメリカ&nsbp;アトランタ。
オバマ氏は選挙戦を通じて一人の人物の言葉を使い、人びとに訴え続けました。
「 『団結を今こそ』 とキング牧師は言いました」
「 団結こそ我々が打ち勝つ道なのです」

オバマ氏が語った人物。
それは、マーティン・ルーサー・キングJr.
黒人差別の撤廃に大きな貢献を果たした牧師です。
キングが生きた時代。
黒人は激しい差別にさらされ続け、あらゆる権利が奪われていました。
今からおよそ60年前。
法律家を目指していたキングは、ある疑問を抱きます。
合衆国憲法に謳われている 「正義」 と 「自由」
それがなぜ黒人には与えられないのか。
キングは牧師に転身。
民衆の中に分け入り、不当な差別に沈黙する黒人たちに覚醒を促します。
やがて黒人たちは団結しアメリカ国民として当然の権利を求めて立ち上がるのです。
そんな黒人たちを白人は暴力を持って押さえ込もうとします。
しかしキングは、非暴力の姿勢を貫きます。
「正義を実現させるためには 正義の行動で闘わねばならない」
こうした黒人たちの運動は、次第に白人の良心を呼び覚まし、ついに時の大統領 ジョン・F・ケネディを動かします。
あまねく人びとの自由と平等を保障する公民権の実現
キングは、大群衆を前に訴えます。
「 I have a dream. One day (私には夢がある いつの日か)  」
キングの夢。
それは人種を問わず国民全てが手にできる正義の実現だったのです。
建国以来アメリカが掲げてきた正義と自由。
それを民衆の手に取り戻そうと闘ったキング。
キング牧師の激動の市民革命の軌跡をみつめます。



自由と平等の保障を求めたキングの活動の第一歩とは


「キング牧師」誕生

今から80年前。
南部ジョージア州アトランタ。
1928年1月15日。ある牧師の家に一人の男の子が誕生しました。
後に、黒人差別の撤廃に身を捧げるマーティン・ルーサー・キングJr.です。
キングは6歳の時、初めて黒人差別の現実に直面します。

キングには毎日のように仲良く遊ぶ白人の友達がいました。
ところが小学校に上がる頃になった或る日、友達から突然こう告げられます。
「もう一緒には遊べない」

友達が離れていったのは、肌の色が違うということ。
それは、キングの心に深い傷を残しました。

白人による黒人差別。
それはアメリカ社会全体を覆っていました。
安い賃金で働かされ、地域によっては投票権も与えられませんでした。
特に、キングが育った南部では、駅の待合室や水飲み場など公共の施設で白人と黒人を区別する 「人種隔離」 があからさまに行われていたのです。

こうした差別には歴史的な背景がありました。
黒人はかつて白人が経営する農園の労働力としてアフリカから連れてこられた奴隷でした。
永きに渡り黒人を奴隷として扱ってきた白人は、奴隷制の時代を終えた後も、黒人に対する態度を変えようとしなかったのです。

更に差別は、州によっては合法化されていました。
バージニア州で制定された州の法律です。
「白人と黒人はそれぞれ別の学校に通わねばならない」
「白人と黒人は結婚してはならない。犯せば禁固2年ないし5年の刑に処す」

少年時代の差別体験が心に影を落としてきたキング。
アトランタにある黒人大学に入学し、法律家を目指します。
黒人を不当に扱う法律に抗うことで黒人たちを差別から救えるのではないかと考えたのです。
様々な法律や判例を調べるにつれ、キングは次第に疑問を募らせます。
それは、国の最高法規である合衆国憲法の存在でした。
アメリカが建国と共に謳い上げた憲法の理念。
そこに記されたのは、「正義」、そして「自由」でした。
しかしそれは、白人と同じアメリカ国民である黒人には与えられていなかったのです。
キングの言葉です。

「我々は印刷された書き物に終わっている憲法を現実的なものにせねばならない」
(演説 「黒人と憲法」 より)

法律と闘うだけでは何も変えられない。
そう気づいたキングは、宗教や哲学、思想など、あらゆる側面から人種差別の問題と向き合います。

そんな中で、一人の人物が率いた運動に共鳴します。
マハトマ・ガンジーです。
ガンジーは、大英帝国の植民地だったインドを独立へと導いた指導者でした。
200年近くに及んだ白人に支配される不当な構造。
それをガンジーは大衆を団結させることで突き崩したのです。

大衆の力。
キングは目を開かされます。
アメリカの黒人を救うのには黒人自らが立ち上がり団結せねばならない。
キングはその拠点となる場を求めます。
見出した場所は、教会でした。
当時、白人から徒党を組むことを監視されていた黒人にとって、教会は唯一自由に集まることを許された場所でした。

1954年。
25歳のキングは、黒人の民衆と共に差別と闘う覚悟を決め、牧師の道を歩み始めます。
「キング牧師」 誕生。
それは、 " I Have a Dream " の演説を行う9年前のことでした。



大衆の力によって差別に抵抗しようとするキングの運動とは


黒人たちの差別への気づきと団結

1954年10月。
差別との闘いを決意したキング牧師は、南部アラバマ州の州都モンゴメリーの教会に赴任します。
キングの目に映った街の黒人たちは、覇気を失い、差別をただ黙って受け入れていました。
キングは考えます。

「黒人たちを腐らせているのは劣等感だった。差別の最大の悲劇は精神までが奴隷となり麻痺してしまうことだ」
(演説 「新時代の挑戦に直面して」 より)

キングはまず教会での説教に力を注ぎます。
その内容は、これまでの牧師とは異なるものでした。
聖書の言葉を語るだけでなく民主主義や人権についてわかりやすく説き続けたのです。
その説教の一説です。

「アメリカの独立宣言にはこんな言葉が書かれています。『すべての人は平等につくられている』そこには『すべての白人』とは書かれていません。黒人をも含む『すべての人』と書かれているのです。」
(説教 「アメリカの夢」 より)

キングの教えに共感する黒人たちは、次第に街中に増えていきました。
そんな時、或る事件が起こります。

キングがモンゴメリーに来て1年が経った1955年12月1日。
ローザ・パークスという40代の黒人女性が仕事を終えバスに乗り込みました。
間もなくバスは満席となりそこに白人客が乗り込んできました。
すると運転手が、ローザたち黒人客にこう言い放ちます。
「席を譲れ」

実は、モンゴメリーの市バスには人種隔離法にもとづいた乗車ルールがありました。
前の方に白人専用席があり黒人はそこに座ることは許されません。
更に白人席が満席になると黒人は白人に自分の席を譲らねばなりませんでした。
しかしローザは一人席を立とうとしません。
黒人が座れる席にいたローザはその権利を主張したのです。
バスの乗車ルールに従わなかったローザは逮捕されます。

翌朝、キングはローザ逮捕の事実を知ります。
そしてついに差別への抵抗を示す行動に立ち上がります。
選んだ方法は、バスへの乗車拒否 「ボイコット」 でした。

すぐさま街中の黒人に強力を求めるビラ作りを開始。
バスの状曲の7割は黒人で、その数は1日5万人。
ボイコットすればバスを運営する白人には打撃となります。
ボイコットの決行は4日後。週が明ける月曜日に決めました。

12月5日。ボイコット当日の朝。
キングは不安うを募らせていました。
黒人たちは本当にバスに乗らずにいられるだろうか。
6時前、キングは自宅の前を通過する始発のバスを待ちます。
すると、バスの中は空っぽでした。
次のバスにも黒人の姿はありません。
そして、街に出ると、キングの呼びかけにこたえた多くの黒人たちが、自らの足で歩いていたのです。

一方、この日の午後、ローザ・パークスは市の裁判所で有罪となります。
しかしローザはすぐに上訴、無罪の訴えと共に、人種隔離法の是非を国に問うとしたのです。
この動きを受けて、キングたち運動の中心メンバーは今後の行動を検討します。
ボイコットを続け社会的な注目が集まれば、国を動かし人種隔離法の撤廃が実現するかもしれない。
しかしそれは、仲間に大きな犠牲を強いることになる。
キングたちは、その夜の集会で民衆に判断を委ねることにしました。

12月5日、月曜夜。
教会に入ったキングは、集まった人びとの熱気に圧倒されます。
千人収容の教会に詰め掛けた人びとは5千人。
キングはボイコットを継続するか否か、賛成者の起立を求めます。
波打つように全員が起立。
満場一致でボイコットの継続が決まりました。

翌日、通りを歩く黒人の数は更に増えます。
そしてその顔には、笑顔が溢れていたのです。
歩みを共にする人びとは1曲の黒人霊歌を口ずさむようになります。
歌の名は、「私たちは打ち勝つWe shall overcome」。

ボイコットは何ヶ月も続きました。
雨の日も雪の日も。
バスに乗らず歩き続けました。

或る日、足を引きずりながら通りを歩く老婦人がいました。
その姿を見かね、車を走らせていた運転手が、乗せてあげようか、と声を掛けました。
ところが、老婦人はこう答えました。

「私は自分のために歩いているのではありません。私の子供や孫のために歩いているのです。」

これまで、差別に黙って耐えてきた黒人たち。
しかし今一人ひとりの心の中に 「正義」 への気づきが芽生えはじめていたのです。

1956年11月。
バスボイコットの開始から11ヵ月後、黒人たちは画期的な成果を掴みます。
連邦最高裁が、バスにおける人種隔離を定めたアラバマ州法とモンゴメリー市条例を違憲とする判決を下したのです。

ボイコットは終わりました。
差別がなくなったバスがモンゴメリーの街を走りはじめました。
それは、 " I Have a Dream " の演説を行う6年8ヶ月前のことでした。



キングが差別との闘いの先に描いた夢とは


1960年代に入ると黒人の運動は各地に広がっていきます。
しかし一方、それを封じ込めようとする白人の反発が激化します。

アラバマ州バーミングハム。
この街では、行政や警官が率先して黒人に圧力をかけていました。
1963年1月。
新たに選ばれた州知事 ジョージ・ウォレスは、人種隔離の徹底を宣言します。
「人種隔離を今! 人種隔離を明日も! 人種隔離を永遠に!」
更に先鋭化した白人の暴徒が黒人の住居や教会へ爆弾を投げ込むテロが多発します。
バーミングハム(Birmingham)は、ボーミングハム(Bombingham) 「爆弾の町」 と呼ばれるほどでした。

1963年3月。
キングは次なる運動の場をこのバーミングハムに定めます。
街に乗り込んだキングの前には白人の暴力に対し激しい憎悪をつのらせる黒人たちがいました。
このままでは暴動になる。
キングは黒人たちを諭します。

「 『自由』 と 『正義』 の闘いにおいて最も強力な武器とは、 『非暴力』 なのです」
キングが求めたのは 「非暴力」 による抵抗でした。
「 『正義』 を勝ち取るには、あくまでも 『正義』 の行動で闘わなければならない」

2ヶ月の1963年5月。キングは大規模なデモ行進を行います。
そこには、学生や子供たちも多数参加しました。
デモには全米のメディアの注目が集まります。
行進が始まって間もなく、警察や消防隊が現れました。
そして、黒人の群集に向け放水を開始。
学生や子供たちは道路の脇に叩きつけられます。
さらに投入されたのが警察犬でした。
警官は何頭もの犬に黒人たちを襲わせたのです。




この瞬間を一人の白人ジャーナリストがとらえました。 写真には、警官が無抵抗の若者の胸倉をつかみ犬に噛み付かせる様子が写し出されていました。 この写真は翌日の新聞やテレビニュースで取り上げられ、その残忍な行為が全米中に知らされます。

黒人の抵抗運動を取材していた、ジョン・ハーバース記者(85歳・元UP記者)です。 取材を重ねるにつれハーバースさんの心は変化していきました。

「客観的報道者という立場にいたにもかかわらず、私は黒人たちの勇気に対して次第に尊敬の念を抱くようになりました。白人に抵抗すると暴力を受け、死ぬことすらあるにもかかわらず、ひるまず立ち上がろうとしたんです。私だけでなく当時この運動に立ち会った誰もが、同じ思いを抱いていました。 『正義はどこにあるのか』 と。」

1965年5月アラバマ州バーミングハムのデモ行進
 

新聞には、白人自身の中から、正義を欠いた白人の行為に批判の声が寄せられます。
「国家の不名誉」、「見せかけの民主主義」。
非暴力で差別の撤廃を訴える黒人の姿は、白人たちの良心を目覚めさせました。

更にデモは予期せぬ反応を起こします。
当時、東西冷戦で緊張関係にあった共産国ソビエトは、この混乱を格好の批判材料にしました。
ソビエトは機関紙 「プラウダ」 に、白人が黒人を奴隷のように鎖に繋いだ絵を掲載し、こう揶揄します。
「これが民主主義国家のなれの果て」

事態の収拾を図るためデモの翌月ついにアメリカ大統領 ジョン・F・ケネディが動きます。
「来週、私は議会に今世紀成し得なかった強力な公民権法案を提出します」

公民権法(Civil Rights Act)
それは、人種を問わずアメリカ国民の自由・平等の権利を保障するというかつてない強制力をもった法律でした。

この公民権法を必ず実現させねばならない。
キングは闘いの原点を問い返します。
それは、憲法に謳われた正義と自由をすべての人びとが手に出来るようにすること。
そしてキングは、かつてないデモ行進に挑みます。
舞台は、首都ワシントン。

1963年8月28日、デモ行進当日。
全米から次々と人びとが集まってきました。
行進が始まります。
その様子はこれまでのデモとは全く違ったものでした。
黒人と白人が手を携えて歩んでいたのです。
そして人びとの間に歌声が広がっていきます。
それはあの団結の歌 "We shall overcome 私たちは打ち勝つ" 。
参加した人びとは、25万人にのぼりました。
皆歓喜に溢れ行進を続けました。

そしてその時。
1963年8月28日午後4時前、キングの演説が始まります。
「私には夢がある いつの日か ジョージアの赤土の上で かつての奴隷の子孫と奴隷主の子孫が 兄弟愛のテーブルに仲良く座れる日が来ることを」
「私には夢がある きょうここに多くの白人の友が集まっています 白人の運命もまた われわれ黒人の運命と共にあるのです」
「白人よ黒人の自由は 決して解くことのできない絆でつながれています われわれは一人では歩いて行けないのです」




キングの夢。
それは、肌の色も過去の歴史をも乗り越え、皆が共に手を取り合う団結だったのです。

明くる1964年7月2日。
ついに公民権法が成立します。
合衆国憲法で掲げられた正義と自由。
それは、憲法制定からおよそ180年の時を経て、ついにアメリカ国民自らが手にすることとなったのです。



その後のキングの足跡とは


公民権法が成立した後もキングの活動は続きます。
社会に深く根を張るあらゆる差別。そして貧困。
それらの問題を解決するには、歩みを止めることはできませんでした。

更にキングが積極的に社会に訴えていることがありました。
それは反戦です。
共産主義勢力の拡大を防ぐという、いわゆる正義の元はじまったベトナム戦争。
アメリカは大量の軍事力を投入しますが、ベトナム民衆の激しい抵抗を受け、戦争は泥沼化していました。

キングは民衆に訴えます。
「我々は今、黒人と白人の若者たちが一緒に殺人を犯し死んでいくという残酷な皮肉に直面しています。現在戦われている戦争を無視してアメリカの誠実さを語ることはできないのです」
(演説 「ベトナムを越えて」 より)

問いかけはそれだけに終わりません。
「今、私の心はベトナムの民衆にも向けられます。彼らの切れ切れの叫びに耳を傾けないかぎり、いかなる解決も生み出せないのです。」
(演説 「ベトナムを越えて」 より)

人種、宗教、イデオロギーを越えて、人間の尊厳を守る。
それがキングにとっての真の正義でした。

しかし、1968年4月4日。
キングは白人の凶弾に倒れます。享年39歳。
キングの闘いは道半ばで途絶えます。
しかしキングが求めた夢は、潰えることなく後の世代に引き継がれていくのです。

毎年1月の第3月曜日。
アメリカは祝日となります。
その名は、キングス・デー
キングの誕生を祝う日です。
この日、アメリカ各地では、市民による行進が行われます。
真の正義とは何なのか。
人びとが、キングの思いに立ち返る一日なのです。

今尚、人びとの良心に問いかけ続けるマーティン・ルーサー・キングJr.。
彼が死を前に人びとに語りかけた言葉です。
「 "We shall overcome" 私たちは打ち勝つ。たとえ遠回りをしていたとしても、行き着く先に 『正義』 があるがぎり」
「 "We shall overcome" 私たちは打ち勝つ。なぜなら 『偽り』 が永遠に行き続けることはないから」
「 "We shall overcome" 私たちは打ち勝つ。私はそれを心の深いところで信じている」

 

Posted 15 Nov. 2008
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