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「精神」を撮る
ドキュメンタリー映画監督 想田和弘
掲載:2009.07.01
世界三大映画祭の一つ、ベルリン国際映画祭。
今年(2009年)この映画祭で1本の日本映画が大きな話題となりました。
映画、「精神」。
岡山県の精神科に通う患者の姿を描いたドキュメンタリーです。
この映画を手がけたのはニューヨーク在住の映画監督 想田和弘 (Kazuhiro SODA)さん。
釜山国際映画祭、ドバイ国際映画祭で、想田さんは最優秀ドキュメンタリー賞を受賞。
新進気鋭のドキュメンタリストとして、今世界中から熱い視線が注がれています。
身体は壊れても魂は決して壊れない。
そのことを想田和弘はよく分かっている。
ヴォイチェフ・ヤスニー(映画監督)
これは2時間15分という大変長時間のドキュメンタリーですが、
そもそもこうした映画を撮ろうと思ったのはどういったことから?
想田和弘さん said
- まず、原体験からあったんです。
僕が20歳の頃に、東京大学に在学中に「東大新聞」という学生新聞の編集長をやってました。
相当プレッシャーがあるのと、猛烈サラリーマンみたいに働いていたんですね。学生なのに。
そしたら或る日、朝起きたら何にも出来ない。 ワープロに向かうと吐き気をもよおすです。
これは何かおかしいなと思って、すぐに学内の精神科に駆け込んだんです。
そしたら先生が言うに、「君、燃え尽き症候群だよ」と言われてたんです。 - それから10年以上経って、ニューヨークに住みながらテレビのドキュメンタリー番組を作る仕事をやっていて、
このままいったらヤバイ、病気になっちゃうというような感じのところまで追い詰められてしまったんです。
その時日本で編集作業をやってたんですけど。 自分がそういう状態になった時に、周りを見渡してみると似たような人たちがいっぱいいて。
精神科に通っている人もいるし。 燃え尽きっちゃってるのにまだ働いているような人とか。 - その時にピンときたのが、これは自分の職場だけじゃなくて、日本全体に言えることなんじゃないかと。
かなり普遍的にある空気というか。
日本全体が精神的に追い詰められてるような。
そういう閉塞感も感じたし、あと、危機感みないなものですね。
これはドキュメンタリーになるんじゃないか。 というふうに思ったんです。
これはずーっと日本にいたら、ひょっとしたら気がつかなかったこと?
想田和弘さん said
- かもしれないですね。
僕はニューヨークにも16年間住んでいるので、日本に帰ってくると
日本のちょっと特異な感じというのは改めて発見するところがあります。
この映画は、タイトルに「観察映画」になってます。「観察映画」ってどういうことですか?
想田和弘さん said
- 「観察映画」には2つの意味があって、
1つは僕が対象をよく観察する、ということです。
先入観とか固定概念とか、そういうのをなるべく取り払って観察してそれを映画にしてということです。
もう1つは、お客さんが映画をご自分の目で観察し、解釈し感じられると。
そういうふうに作るということです。 - だから、そのじゃまをしないために、ナレーションを付けない、
テロップで説明しない、音楽を付けない、というようなスタイルで作ったのを「観察映画」といいます。
どういうふうに受け取るのかは、観る人によって違っていいということです。
山本医師(精神科医 山本昌知さん)というのはとても不思議な全人的な魅力をお持ちのドクターで。
「死にたい」ということに対して、「ふんふん」。
やりとりだけは大変そっけないですけど、ずーっと観てると大変豊かな感情の交流も伺えますね。
想田和弘さん said
- そこに居られるだけで安心するというか。
そういう存在感のお医者さんです。
彼のモットーというのは、当事者本位の医療です。
つまり、当事者がこうしたい、ああしたい、こうしていきたい、という気持ちです。
それを一番にもってくる。
できるだけ地域の中で暮らすことを選ばれる患者さんが居るんだったら、 地域で暮らしてもらって、それを皆でサポートしましょうと。
そういうような考え方の方なんです。
その他のシーンでも、切々と何かを求めて医師に問いかえる人が居ますが、 そうすると「ふんふん」とカルテにいろいろ書き込んで、 それで、「あんたはどう思う」とか言うふうに反問する。 そうすると、問いかけた人が自分の考えを語り始めるという不思議な光景ですね。
想田和弘さん said
- 多分、山本先生に答えを求めて診療に来られる方も沢山いらっしゃると思うんです。
だけど山本先生は、あくまでも「あなたはどうしたいんですか」というふうに聞き返すんです。
聞き返すことによって、患者さんの方は、「あれ、自分はどうしたいんだろう」ということを考え始めて。
もっと主体的にご自分のことをお考えになる、ということだと思うんです。
それが当事者本位っていうことに繋がると思いました。
映画を観てて、人間が大人になる成長するって、どこか違う幾筋もの道があるんだけども、 今の社会っていうのは、ひょっとしたら1本か2本の道しか用意されていないのもしれないですね。
想田和弘さん said
- そうなんですよ。
ものすごく単一的というか。
僕も東京に帰ってくると電車とか乗るんですけど、 沢山人数いるんだけど、皆同じ方向に整列して、黙々ともの凄いスピードで歩いて行きますよね。
でも脱落したら大変だ、と言う気分がすごく強いんです。
そんな時によく考えるのは、この速い世の中のペース、 単一の価値観に合わせられない人たち。
合わせようと思っても、そういう条件がなかったりとかする人たちは、 どうしてるんだろう、ということを考えます。
監督が期せずして「脱落」と言ってましたけど、実は、脱落じゃないんですよね。
脱落としてしまう社会の側みたいなのがあって。
想田和弘さん said
- そういうことですよ。
安心して別の生き方とか、別の価値観ていうものを育てていけるような社会だったらいいと思うんです。
これがダメだったらこっち、これがダメだったらこっち、 っていうふうに、いろいろ選べると、そしてそれを他の社会も共用するということだと、 すごく安心してドロップアウトできるかな。
ドロップアウトがドロップアウトにならなければいいですね。
この映画、「精神」というだけですよね。
「メンタル」で止めた、というのはなぜなんですか。
想田和弘さん said
- 鋭いですね。
実はかなり完成の間際ぐらいまでは「精神病」というタイトルになるかなと思っていたんです。
だけど、どうも作っていて編集していてなんか違うな、と。
結局これは病気についての映画ではなくて、 我々の精神についての映画なんじゃないかなと思い直して、 それで「病」を取ったんです。 - 我々が抱えている精神という言われるもの、
或いは、魂とか心とか、いろんな言葉で呼んでますけど、
それは多分きっと分からないから。
巨大な小宇宙ですよね。
我々の中に潜んでいるんですけど。 もしからしたら大宇宙よりもでっかい存在かもしれない。
この、ものすごい巨大な複雑怪奇で分からないものですよね。 これについての映画なんじゃないかと。
大それたことなんですけど。考えたわけなんです。
診療所にほとんど行った放しですか。
想田和弘さん said
- 基本的には朝から晩まであそこにおじゃまして。
一人ひとりから許可をもらって撮影していくんですけど。
だいたい、10人聞くと8人から9人は「撮影は困ります」というふうにおっしゃるんです。
やっぱり、病気のことを回りの方に話しておられない方が、 まぁ内緒されてる方ですよね、会社とかに。
だから、改めて偏見の強さとか、そういうものを感じたんですけど。
そういう中で、撮影を進めていくので、中にはカメラが一切回らない日も。
それでもそこに居続けて。
そうすると撮りながらいろいろ発見があったり、戸惑いがあったり。
想田和弘さん said
- そうです。そういうことですね。
それを素直に映画にするということです。
だから、もともと僕が思い描いていた精神科のイメージとか、 そういうものが裏切られれば裏切られるほどいい、
ということです。
そうした中でまさに想田さんがおっしゃった「精神」。精神の交流も見えました。
そして、実は、カメラの向こう側の監督とのやり取りもとてもユニークであります。
これまさに「精神」ていうタイトルですけど、
このシーんを観てると「豊饒なる精神」。そんな感じさえしますよね。
想田和弘さん said
- 本当は僕は、いわゆる水か空気のようになって一切質問するつもりもなかったんです。
だたこう傍観者的に観察するというような映画を目指してたんですけど、 撮ってると皆さんが放っておいてくれないというか、逆質問とかが多くて。
最初は困ったなと思ったんですけど、だけど、もしかしたらこれが ここでの僕の存在ていうか、被写体の方々との関係性なんだろう、 というふうに思い直してそれを映画に反映させよう、というふうに思ったんです。 - あとは、僕のことを観察しておられるんじゃないかなと。逆に。
僕も常に試されているというか。そんな感じがしてました。
山本医師と同じように、常に反問されるという、そういう世界かもしれないですね。
言ってることはとても素晴らしいことでしたよね。
「癒されるってことは相手の傷に包帯をすることだ」、とか。
何かとても説得力がある。
想田和弘さん said
- やっぱり病気を経験されて、いろいろ辛い思いもあって、その中で
やっと紡ぎ出されてきた言葉というか、
見方というか、人生感というかですね。
そういうものを感じたんです。
だから、病気が必ずしもネガティブでない。
勿論ご本人は辛いと思いますよ。
で、治りたいという気持ちもお在りでしょう。
だけど、或る意味、病気だからこそ経験できた世界ていうか、 得られた人生観、そういう強さみたいなものというのを感じ取ったところがあります。
まさに精神の強さ。
それを我々がカーテンを引いてしまうと 弱い人に位置づけてしまう。
想田和弘さん said
- そういうことですね。
この映画で、撮るときにこだわったのは、モザイクをかけないということだったんです。
或る意味、モザイクをかけてしまうと撮る側としたらすごく安心なんです。
やっぱり素顔で出ていただくわけだから、もしかしたら患者さんたちを傷つけてしまうかもしれない。
或いは、後で訴えられたりとか、或いは、名誉毀損とか。 そういうような訴訟の可能性だって残されるわけじゃないですか。 - でも、それをすることは、或る意味、患者さんを精神病院に隔離することとすごく似ていて。
つまり関係性を絶つ、ということなんです。
カーテンの向こう側に押しやっちゃう。ていうことなんですよ。
それをやってる限り、偏見ていうものはなくなっていかないし、 カーテンていうものは取れないんじゃないかな。 - モザイクが付いてれば、僕はもう終わった話、とできるんですけど、
モザイクが付いてないので、やっぱり不安になられれば山本先生と相談したりとか、
僕から手紙を書いたりとか、いろいろ相談しながら
どんどんやっていかないと、というか、一緒に乗り越えていかないといけないわけですね。
これは或る意味非常にしんどいというか。
たぶんこれからずーっと続くと思うんですよ。
一生のお付き合いになると思うんですけども。 - 或る意味しんどい側面なんですけども、でも、それが責任を取ることだ、というふうに思っているし、 そういう面倒くさいことを全部なしにしちゃうことがモザイクだと。
非常に難しいところなんですけども。
対象の方との関係性は、いくら緊密にしても、話を聞いてますと「死にたい」とか。
本当にぎりぎりの心の有り様が見えてますよね。
それを撮っていいものかどうかってためらわれたり、
或いは、悪い影響は与えないか、ってそういうふうに感じたことはありませんか。
想田和弘さん said
- 何度もあります。
確かに、もしかしたら自分が加害者になってしまうんじゃないか。それを撮ることによって。
だけど、それはたぶんカメラを持っていようと、持っていなくても、 生きるっていうことなんじゃないかなと思うんです。 - つまり、人と深く関わるということだと思うんですね。
僕らは人と関わる過程でいい影響を与え合ったりとか、 或いは、迷惑をかけ合ったりとか、 時には反発し合ったり、怒ったり、泣いたり、 ということをするわけですよね。
いいことばっかりじゃないですよ。
だけど、その、いいことじゃない悪いことを不安になって 関係絶てばいいのか、っていうことですよね。 - やっぱり、生きるっていうのは、このいいことも悪いことも引き受けながら人と関わっていくことだと思うんですよ。
だから、この映画を撮るのも、その延長線上っていうか。
間違うことも多分あると思うんです。 だけど、なるべく誠意を持って、僕にとっても、被写体の人にとっても、 観る人にとってもよかれと思いつつ、やることが大事なんじゃないかな。
間違った時には、「ごめんなさい」っていう。
そこからまた関わりが生まれてくる。
傷つけることを恐れて関わりを絶ってしまうことは、
結局カーテンの向こう側に置いておくということですからね。
想田和弘さん said
- そうです。そういうことですね。
傷つけることも含めて、関わり合えるか、と。
映画を観た人も係わって欲しいですね。


