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“ハイチのマザーテレサ” 83歳日本人女医の挑戦
編集:2010.05.24
掲載:2010.05.27
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“ハイチのマザーテレサ”と呼ばれる日本人の医師がいます。 しかし、今年1月の大地震で、須藤さんの病院は壊滅的な被害を受けました。 重症患者を入院させることが出来ず、水さえも尽きる中、病院の存続が危ぶまれる状態です。 しかも地震の後、貧富の格差は益々深刻化。 人々は仕事を失った上、援助は届かず、ゴミの山に群がる人が急増しています。 今、須藤さんは、果てしない貧困の連鎖を断ち切ろうと、新たな活動も始めています。 |
“ハイチのマザーテレサ”、83歳女医の挑戦
2010年1月に、22万人もの犠牲者を出した大地震に見舞われたハイチ。
ハイチは欧米に比べて結核患者の割合が非常に高い国です。
このままでは被災し、キャンプ生活を余儀なくされる人々の間で、感染力が強い結核という病気が急速に広がっていくのではないか。
特に、クスリが効かなくなった結核の広がりを心配し、心を痛めているのが、結核専門医の須藤昭子さん83歳です。
病院、療養所が倒壊し、雨期で衛生状態の悪化が懸念される中で、結核患者がテントや野外で他の被災者と同じように過ごさなくてはならない事態が起きているからです。
日本から飛行機で17時間。
カリブ海の小さな島国ハイチと、そしてカトリック教の修道女でもある医師の須藤さんとの息の長いかかわり。
須藤さんは、貧しく、そして当時肺結核が成人の死亡原因の第1位のハイチに渡ったのは、1970年代の半ば、49歳の時です。
以来30年以上に渡って、結核やハンセン病の治療に力を注ぎ、医療体制の整備などにも取り組んできた須藤さんは、現地の人々から“ハイチのマザーテレサ”と呼ばれています。
人々が経済的に自立できるようにならなければ結核を根絶できない。
須藤さんは今、医療の枠を超えた積極的な取り組みも行おうとしています。
大地震が起きた時、たまたま日本に一時帰国していて難を逃れた須藤さん。
先頃ようやく所属する教会から一時的にハイチに戻る許可が下りました。
大地震に見舞われたハイチの人々の困難に向き合う83歳の姿を追いました。
ハイチを救え、83歳女医の挑戦
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カリブ海に浮かぶ人口600万の島国ハイチ。 ハイチ国立結核療養所。須藤さんが活動の拠点としてきた場所です。 同僚の無事にホッとしたのもつかの間、須藤さんは病院が受けたダメージの大きさを思い知らされました。 結核患者を収容していた病棟は、倒壊の恐れがあるため閉鎖されていました。 患者が収容されていたのは、中庭の仮設テントです。 テントの中は、日中40℃を超えることもしばしばです。 暑さで体調を崩す患者が続出しています。 須藤さんがハイチに渡ってから34年、この結核病院の他にハンセン病の病院も整備しました。
その活動の原点は、貧しく混乱していた戦後の日本にありました。
終戦直後、須藤さんは医学部の学生でした。
不治の病といわれた結核のために、海外から来た医師団が日本人を救う姿を目の当たりにしました。 |
多剤耐性結核菌に変異する危険性
その頃ハイチでは、結核はまだ死の伝染病。患者は差別され見捨てられていました。 須藤さんは、クスリやベッドも満足に無い病院を1から建て直し、多くの貧しい人々の命を救ってきました。 しかし大地震は、須藤さんが築き上げてきたハイチの結核医療を台無しにしようとしています。 病院が結核患者を隔離できない状態に追い込まれているのです。 病院には大地震の後、結核以外の患者が殺到しています。 中には入院が必要な重症患者もいますが、病棟が崩壊したこの状況では受け入れることはできません。 しかし須藤さんは結核患者を退院させることを躊躇していました。 須藤さんが心配しているのは、退院させた患者がクスリを飲まなくなってしまうことです。 結核菌を完全に殺し切る前にクスリを飲むのを止めてしまうと、生き残った菌がクスリの効かない強力な菌、多剤耐性結核菌に変異する危険性があるのです。 須藤さんの恐れは現実のものとなり始めています。
この日、須藤さんは、クスリの効かなくなった結核患者を隔離している施設を訪ねました。 地震の後、クスリの効かない患者が6人出たことが確認されています。 しかしこれは氷山の一角。 千人を超えるこうした結核患者がハイチ全土に潜んでいると推定されています。
須藤さん
- 非常に恐ろしいと思います。
クスリが効かないのが一番問題なんです。
テントを密集している中で、どれほど目に見えない菌がばらまかれているかということですよね。
水の確保に奔走
更に、病院の存続そのものに揺るがす事態もおきています。 この日須藤さんは、病院への水の供給が5日後に止まってしまうことを知らされました。 これまで行われてきた赤十字の緊急支援の期間が終了したというのです。 病院の井戸水は地震の後水質が悪化し使えなくなっています。 水が無ければ治療はもちろん、入院患者の食事を作ることさえ出来なくなります。 翌日須藤さんは、食糧支援などを行っている国際機関(WFP 世界食糧計画)の事務所を訪れました。 今度は、ユニセフ(unicef 国際児童基金)の事務所を訪ねました。 しかし回答は、病院の井戸水が使えないことが調査ではっきりしないと支援はできない、というものでした。
須藤さん
- 「調査している間には水がなくなるけど患者がいるのにどうしたらいいのか」、って言ったら、
「赤十字に行って調査結果を待つ間の水の補給を頼め」、と言われた。
たらい回しの末、最後に訪れたのは、さまざまな団体の支援活動を調整している国連の窓口です。 しかしここでも水を確保する約束を取り付けることは出来ませんでした。
須藤さん
- 1日中まわりましたが、どこもはっきりした返事をくれなかった。
もうちょっと早くできると思ったんですけどね。
その後須藤さんは、知り合いのNGOに頼み込みようやく2週間分の水を確保することが出来ました。
病気の根源には農業の崩壊がある
須藤さんには、地震後もう一つ心配している場所がありました。
農業学校の建設予定地です。
須藤さんは農業の担い手を育てるため、2年前から農業学校の建設に取り組んできました。
しかし、建設予定地に到着した須藤さんは、我が目を疑いました。
なんと更地だった予定地が、一面のテント村に変わっていたのです。
土地を占拠していたのは、大地震で家を失った人々でした。
本来、こうした貧しい人々を経済的に自立させる目的で作ろうとしているのが農業学校です。 その建設が貧しい人々によって止まってしまうとは、なんとも皮肉な事態です。
今や失業率が8割というハイチ。
かつては、国民のほとんどが農業で生計を建てられる農業国でした。
ところが、軍部が政権を握った90年代、国連の経済制裁を受ける(1993年)と状況が一変します。
ハイチ経済は壊滅的な打撃を受け、生活に行き詰った人々が炭焼きで現金収入を得ようと森林を次々に伐採しました。 豊かな緑を誇った山々は、森林面積がわずか1%に減少し、無残なはげ山に姿を変えました。 その結果、大雨の度に土砂崩れが発生し、農地は荒廃。 農民が都市部へ流れ込みスラム化するという悪循環に陥ったのです。
病院にやって来る患者の多くが、都市に流れ着いた農民でした。 病気の根源には農業の崩壊がある。 須藤さんは、“農業の再生”こそ根本的な解決だと考えました。
須藤さんがまず始めたのは、はげ山に木を植える活動です。 地元のNGOの協力も得て、これまでに4万本以上、マンゴなどの苗木を植林しました。 また、須藤さんは、80歳を前に農業を勉強。 自ら指導しています。 普及させようとしているのが炭を焼く時に取れる木酢液の利用。 土壌改良に効果があります。 お金のかかる肥料や機械なしでもできる農業が必要だと考えているのです。
医療、貧困。
絶望的な状況に立ち向かう“ハイチのマザーテレサ”の挑戦が続きます。
ハイチを救え、83歳女医の挑戦
須藤さん
- そうですね。
初めに(30年前に)行った時には、まだ設備がなくて建物はちゃんとありましたね。 - それがなくなって「ゼロ以下」というのですか、そんな状態ですね。 非常に心が痛みました。
司会
- 今一番恐れていらっしゃることは何ですか
須藤さん
- そうですね。
結局地震のために患者さんがちゃんとした治療を受けないまま分散してますね。 一部の重症の患者だけがテント生活してますけど、病院を出ざる得なかった患者さんたちが結局菌をばらまいている。 そして、治療を中断したお陰で耐性菌、菌の方が強くなって、 そして、その目に見えない耐性菌をばらまいてる。 その感染を受けると、今度治療しても治すことができない。 非常にそのことは大きな問題だと思います。 - これから先、世界中は交通がすごいですから、ハイチだけの問題ではないわけです。 世界中の問題なんです。
司会
- いつの間にか知らず知らずのうちに耐性菌に感染した人が世界中に散らばっていった時に、世界中に広まってしまう恐れがある。
須藤さん
- はい。その危険を私はすごく感じております。 ハイチだけの問題ではないとおもいますね。
司会
- そうすると一刻も早く患者さんを隔離できる施設を改めて造らなければいけないわけですけど。 そういった病棟、或いは療養所の整備・再建というのは進んでますか。
須藤さん
- シグノのサナトリウム(国立シグノ結核療養所)を見ますと、まだそのまま壊れた建物が残っているわけです。 それを除けるというのは、それはまた時間のすごくかかることだと思います。
- ポルトープランスに行きました時には、そこには結核とエイズの治療を主にやってるNGOがございまして、 そこはちゃんと整備してあるんですよ。 もう建てて下さいって、できあがってるんですね。 フェンスで塀まで造ってありました。 私の気持ちとしては、もと居たサナトリウムに建てて欲しいという気持ちはあるのですが、 それ以上に、早くそこに建てていただいて、そして、患者さんを収容して、 感染を防ぐっていうことが、なによりも大切なことじゃないかと私は思います。
司会
- 49歳でハイチに行かれて、日本では新しい結核患者が生まれない状況になって、 それで患者の多いハイチに行かれた。 しかし、状況は撲滅できているどころか、むしろ状態は悪化しているというふうにハイチの状況を見ていらっしゃいますよね。 ハイチの結核を克服する上での難しさはどこにあるのですか。
須藤さん
- 私は最初に行きました時には非常に安易に考えてたんですね。 あんなに、四国よりちょっと大きな国ですから、 集団検診、レントゲンを撮り、喀痰検査をしていけば、 早く患者さんを見つけられて、そして治療できるんではないか。
- でも現実に行ってみますと、その国の文盲率80%、住所不定者いっぱいいましたし、 それに郵便局なんてありこりに無いんですよね。 勿論保険所もありません。 そうすると、検査ができたとしても、それをどのように通達できるんでしょうか。 自分が日本をとして考えて、本当に無知だったということを痛切に感じました。 今も、同じ状態だと思いますね。
司会
- 今はエイズと結核、両方に感染してらっしゃる方も多いんですよね。
須藤さん
- そうですね。
私が自分で調べましたので、これはよく覚えてるんですけど。 採決して赤十字に持っていって、結果は入院患者の50%が陽性でした。
司会
- 結核を根絶していくためには、栄養状態もよくしなければいけない、 人々が働く糧を見つけなければいけないということで、 植林までされて、農業にまで80近くになって学んで、今、人々を一所懸命教えて、 農業学校まで建てる計画まで持っている。 しかし、ハイチの現状は、貧しい、なかなか現状が変わらない、 絶望されるということはないんですか。 どっからその力は湧いて来るんでしょうか。
須藤さん
- そうですね。
そこにやっぱり、やっていけば何かそこの人たちのために、 少しでも役に立つんではないかという。 何か手段があれば、やっぱりそれをやっていきたい。 - そして、そこの人たちと一緒に。 私は大抵自分で考えるっていうより、 こういうことを、どういうふうにしていったらいいんだとろう、と 相談をかけます。 そうすると、ハイチ人の青年たち、一緒に働いているグループの人たちが、 こういうふうにしたらどうだろうか、 というふうに自分たちから回答を持ってくるわけですね。
- それで私も、やあそれはいい考えだ、とか、もっとこうしたらいいんじゃないか、 とかというふうに、相談しながらやっていく。 ですから、一人ではないんです。 一緒にやっていっていくんですよね。
司会
- そろそろやめようとか、お考えにならないんですか。もう83歳。
須藤さん
- え~、でも~、歳でなくて、引退ってこと考えません。
引退は職業ですよね。
でも、私は、一つの生き方ですから。
生き方に引退はないんじゃないでしょうか。
Posted 27 May 2010
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