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ドイツ・フライブルク市のエネルギー効率

地球環境レポート

2009.04.10
News Source : Post Carbon Cities
guardian.co.uk

ドイツのフライブルク市では、法律でエネルギー効率の良い家=省エネハウスの建設が定められている。新築住宅は、年間40kWh/m2以上のエネルギーを消費してはならないことが新たに定められた。住民は、サイクル(自転車)に乗りリサイクルする。エコ住宅地のヴォーバン(Vauban) とリーゼルフェルド(Rieselfeld)では、個人的に自動車に乗る必要がないように設計されている。住民は、屋根に設置されたソーラーパネルから収入を得ている。これらは官民が一体となり何十年もかけて築いたグリーン倫理(環境倫理)の一部である。


ここは世界で最も環境に優しい町か?   By Andrew Purvis


外は6℃。フライブルクを見渡す小高い山Schauinslandに雪がちらつくのが見える。Schainslandはドイツ南西部に住むファミリーが子供達をつれてハイキングに行く人気の場所である。しかし、Meinhard Hansen氏のアパートメントはいつも夏。南の高い窓から太陽の光が差し込み、壁の温度計は24℃を指している。その横には「Heizung 0」という文字が小さなガラス窓に表示されている。「ヒーティングゼロ」とHansen氏が翻訳する。「実際、何週間もヒーティングのスイッチを入れていないのです」

ドイツ(さらに言えばイギリスも)の一般家庭では、220kWh/m2(1平方メートルあたり年間220キロワット時)のエネルギーを使用するが、ここでは年間14kWh/m2だ。「私の義理の母はいなかに古い家を持っており暖房用に6,000リットルもの油を使っていますが、我が家の消費量は150リットルです」
壁にはラジエーター(放熱器)が付いているが冷え切っている。「妻がこんなことが可能だなんて信じられないというので、心理的な理由から付けているだけなんです」とHansen氏が言った。

実現不可能な夢は、快適な温度を保つのにアクティブなシステムが何一つ要らない「パッシブ・ハウス」だった。高断熱で断熱材の厚さを30cmにし、窓は3重ガラスで、外側からシールされる。外気は天井レベルから室内に入り、壁の通風筒から排気される。「暖かい空気の熱が、室内に入る冷気に伝播し、冷気を暖めるのです」と、フライブルクの建築家でパッシブ・ハウスの世界的権威者であるHansen氏が述べる。これまで(2008年3月現在)、Hansen氏の会社では約100件のパッシブ・ハウスを建設している。

彼は、食器棚を開けて、どのように冷たい空気と暖かい空気が波型のシルバーパイプの節の部分で合流するのかを示してくれた。その結果、暖房なしで殆ど一定の温度が提供される。料理、照明、さらには暖かい血が流れる哺乳類からも暖かさが供給されるからだ。「妻と私はそれぞれ100Wのエネルギーを生み出し、犬がさらに20Wつくります」とHansen氏はかがんで犬がまだちゃんと息をしているかどうかを確かめる。「夕食会を開くときは、窓を開けなければならないんですよ」彼の計算によると、ろうそく30本で家全体を暖かくすることができるということだ。

ダクトや換気装置をちょっと考えて設計すれば「何も複雑なことはありません」とHansen氏は断言する。その証拠は経済性にあると言う。パッシブ・ハウスは建築費が10%増えても、エネルギー損失や光熱費は90%と驚異的に激減するということだ。

フライブルクではここまでの家はめったにないが、省エネハウスは標準である。ドイツの他の都市では、新築家屋の年間エネルギー消費は75kWh/m2(英国の典型的なビクトリアン様式の家のエネルギー損失の約1/4)を超えてはいけないことが法律で定められているが、フライブルクのスペックは極めて低い。「年間65kWhだったのですが、現在、新しい法律を策定しようとしていますが55か50、場合によっては40kWhにするという話になっています」とHansen氏は述べている。

それは、フライブルクが第二次大戦で連合軍の爆撃機により壊滅し、賢明な省エネルギーの理念において再建されたという(心地良くない)事実に後押しされて、世界で最も環境に優しい町になろうとするあくなき探求の一環である。英国のゴードン・ブラウン首相がケンブリッジシャー州のオーキントンやストラットフォード・アポン・エイボン近郊のロング・マーストンなど、英国内にも新たに10のエコタウンをつくることを発表しているが、そろそろ、かつて私達が破壊した町から何かを学ぶ時期に来ているのではないだろうか。

「私達は最もエコロジカルな町として、自転車専用道路の長さだったり、自転車通勤者の数だったり、あるいは屋根に設置するソーラーパネルの量などに関して、常にマンスター(Munster)と競っています」と、フライブルク/リーゼルフェルド(Rieselfeld)地区の住民で講師のClaudia Duppe氏は言う。地元のワインを飲みながら、彼女は自分の人生について話をしてくれた。パッシブ・ハウスに住み、外出の際は自転車(見事な自転車道路がある)または路面電車で、安くて速い交通手段で自家用車を持つ必要がない。「私達は車を持っていませんが、カーシェアリングクラブの会費として600ユーロ払いました」とClaudiaは述べた。彼女は買い物で大きな荷物を運ばなければならないときや山にスキーに行くときだけ自動車を借りている。

Claudiaは善良なドイツ人同様、リサイクルを実施し、彼女が出す生ごみはたい肥用に収集されている。彼女は、パートナーで物理学者のThomas Beyerと共に、娘Helenのために最も環境に優しい教育の場を選択した。「Helenはここから自転車でちょっと行ったところにある森の幼稚園に通っています。子供達は1日3時間半、雨でも雹でも雪でも、外で遊びます。彼女が11月に通い始めたとき気温は-15Cでした」とClaudiaは述べる。

私は、そのように忍耐を必要とする教育からHelenが何を学ぶのか聞いてみた。「遊びには様々な形があるということです」とClaudiaは答え、子供達の遊び場所であるアドベンチャー・サイトがどのようにモンテッソーリ教育の要素とルドルフ・シュタイナーのアイディアを盛り込んでいるかを説明した。「幼稚園ではおもちゃ禁止です。子供達は木の枝や葉で遊びます。子供達は日々、森が与えてくれるものを享受します。この季節は花を咲かせるときです。彼らは小さな花のつぼみを開いてみます、そうすると中に緑色のものがあったりします。彼らはゆったりのんびりと、自分自身を感じ、自然のサイクルと共に生きています」

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極端かもしれないが、リーゼルフェルドはかなり強烈な町である。
私は、1996年の開拓時代からここに住むリーゼルフェルド市民協会(Rieselfeld Citizens’ Association)代表Andreas Roessler氏と町を周遊した。頭を剃り、ボマー・ジャケットを着てサングラスをかけると、彼は40代のパリコミューン支持者に見えた。

「90年代は家賃が高すぎました」と彼は説明する。「私達は家族で手頃な価格の住居に住むのが大変でした」住居に対する公的資金は干上がり、フライブルク市は、ファミリーグループ(6団体から16団体まで様々なグループ)に一部の土地を売却した。ファミリーグループは建築家を雇い、自分たちの住宅を建てた。それは、所有権コストをシェアし、その物件の価格を安くする1つの方法だった。その地域のおよそ40%の家が私有化され、これと同様に所有者自身により建築され、一方で40%が賃貸された。残りの20%は、健康的な社会と経済をつくるための打開策として、個人投資家の資金援助を得てつくられたソーシャル・ハウジングであった。

妻と3人の子供と共にフライブルクの北の村から引っ越してきて、この社会的実験の一部となったAndreasは次のように述べる。「私にとっては冒険でした。引っ越してきた時にはもう既にご近所さんがいました、というのも私達のアパートメントに住む家族は以前からの知り合いだったからです。私達は2年かけてこの計画を立て、それはとても良い人生になりました。私達の構想は、幼稚園、学校、町への路面電車をつくり、町の周辺に住むことでした。しかし、最初の頃はないものだらけでした。人々は、生活がどうあるべきかについてのアドバイスを必要とし、同時に自分たちのアイディアも出しました」

その結果、できたのがリーゼルフェルド市民協会だ。現在もリーゼルフェルドのメイン広場であるMaria-von-Rudloff-Platzにある、屋根にソーラーパネルを設置したガラス張りのコミュニティセンターで200名の会合を開いている。この協会の支援を受け、モンテッソーリ教育をベースとする学校はその生徒数を10名から800名にまで増やし、地区最大の学校になった。一方、オープンアクセスエリアであるKultur Mediothekでは、カフェ、図書館、コンピューター、映画クラブ、移住者カウンセリングサービスなどが提供され、ボスニアブックフェアといったイベントも開催される。

Kultur Mediothekのすぐ近くには荒々としたコンクリートでできたサンタ・マリア・マグダレーナ教会があるが、この教会の「融合」的要素もかなり印象的だ。中に入ると広大なスペースが長い廊下で二つに分かれている。その一方はバロック様式を感じさせるカソリックの教会で、もう一方はもっとあっさりとしたプロテスタント教会となっている。クリスマスやイースターなどで集会がピークの時は、スペースを二分する巨大な壁がキャスターで片付けられ、2つの教義をもつ1つの教会になる。「どの町の教会よりも多くの人がこの教会にやってきます」と、Andreasは言う。

実に勇敢なユートピア的ビジョンである。しかし、なぜか私自身はリーゼルフェルドに住みたいとは思わない。住宅ブロックはみな同じ高さで(殆どが4階建)東欧圏を彷彿とさせる。建物がみな同じ頃に建設されているので非個性的で魅力に欠ける。ホテルまでの通りを歩いても何か物足りない。そしてリーゼルフェルドの数少ないレストランの一つであるCafe Medicoでは、4つのメインコースのうち2つが終わっていて、選択肢の一つの「ベジタリアン・カレー」は私が苦手なものだ。このクオリティの生活なら特に欲しくはない。

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町の反対側にある広大なプレハブ複合施設、Technisches Rathaus(市役所の技術部門で本庁と別にある)にあるオフィスで、フライブルクのチーフ・プランナーWulf Dasekingは、リーゼルフェルドは美しくないという意見にうなずいていた。「最初のプロジェクト、最初のテストだったんです」と、彼は指で鼻の脇をたたきながら言った。つまり、彼が1984年に現職に就任後、一からつくられた最初の新住宅地区がリーゼルフェルドであったのだ。その後、1998年に旧フランス軍がつくった急進的な自動車乗り入れ禁止地区で、(リーゼルフェルドより美しい)カラフルなル・コルビュジェ(Le Corbusier)建築と持続可能な生活の殿堂、ヴォーバン住宅地がつくられた。

私は、ヴォーバンを見る前に、第二次世界大戦中に破壊された中世都市の廃墟からどのようにフライブルクがつくられたのかを知りたかった。「主な雇用者は大学でしたから、聡明な人たちでした。彼らが何かを言うときは本気なのです。彼らは新しいアイディアで町を再建すると言い、本当に再建しました」とDaseking氏は述べた。古い通りは路面電車を通すために拡張され、路面電車は「町のバックボーン」となり、中世の市街地は自動車乗り入れ禁止となった。彼は言った。「そして70年代になるとシュトゥットガルト政府はここから40kmの場所に原子力発電所をつくろうとしたのです。

『ノー、私達に原子力発電所はいらない!』と聡明な人々は言いました。彼らがノーといえば、それは本当にノーなのです」

原子力発電の話はなくなったが、フライブルクは問題を抱えることとなった。電力供給の限界と人口増加である。政府によると、唯一の解決策は市民が既存の資源を保護するための省エネルギープランを考え出すことであった。Daseking氏が着任した80年代半ば、市民による協議で何とかしようという気持ちでリーゼルフェルドのプランニングに臨んだ。欲しいもののリストの1番目は、路面電車の拡張であった。住民が来る前につくり、車を買わなくて済むようにする。次は、人口密度の高い区域(グループオーナーシップモデル=集合住宅)を作り、人々が安く家に住めるようにする。新しく引っ越してくる人々は家族で来るため、「4区画から5区画ごとに庭が必要だった」とDaseking氏は述べている。公園が多いのはそのためだ。

さらに進歩的なのは規模に関するアプローチであった。「両親は家の最上階から庭にいる子供達に大声で呼びかけ、子供達の返事も聞こえるようにしなければなりませんでした。地面と触れ合うことができることが重要なんです」と、Daseking氏は語る。「そうなると建物の高さが制限されます。盗難に遭わないよう、(自家用車が欲しい人のために)5ブロックに1つ大きなガレージをつくるのではなく、2ブロックごとに小型のガレージをつくった。「全てのコーナーから、自分のガレージで何が起きているか見えるようにしたのです。犯罪をなくさなければなりませんでしたから」と彼は述べた。

ヴォーバンに行く日、リーゼルフェルドのメインストリートはエコタウンとは言え、不気味なほど静かだった。ジャーナリストで今回私達のガイド役を買って出てくれたDoris Banzhaf氏が言った。最も環境に優しいインフラがいかに脆弱になり得るかの象徴であった。幸運にもDorisが車を調達してくれた。(責めないで欲しい。)地元の建築家であるLorenz Wehrleの車だった。

ヴォーバンに向かう途中、Lorenzは彼が手がける2つのプロジェクトを見せてくれた。ひとつはサンタ・マリア・マグダレーナ教会の隣の学校の体育館だ。ガラス張りの木造の建物で(スチールは使用していない)、一部は地下になっている。ドーム型の屋根には芝生が植えられている。もう一つは、リーゼルフェルド西端にある、太陽光で満たされるミニマリスト・エコフラットを含む民間開発地区である。

ここは、演劇用メーキャップビジネスを営むRene Reiche氏が、妻Silvia(行政補佐官)と二人の子供、Yannick(6歳)、Anneke(4歳)と住む家である。典型的エコロジカルライフを送らなければならないという気持ちになるかどうか尋ねたところ、「環境に優しくてもおいしくなければ買いませんよ」と答えた。「環境に優しい生活とは自分の良心を慰めるためだけはなく、クオリティも伴わないとダメですよね」彼は車を2台持ち、彼の隣人たちも純粋なエコ主義者ではない。「リサイクル用回収ボックスをよくみてみると、誰もがリサイクルを行っているわけではないことがわかりますよ」

ヴォーバンでは環境に優しい生活が義務化されている。「ちょっとうるさいと思うこともあります。色々な社会統制もありますし。ALDI(ドイツの格安スーパーマーケット)の袋を持って町を歩いていると“すみませんが、格安スーパーで買い物をしオーガニック商品を買わないようなあなたとは話をしません”と言われるような感じです。誰もが同じ行動をとることが期待されているので閉所恐怖症になりそうです。もちろん車を持つことも許されませんし」と、Claudia Duppeは語る。

それはちょっと極端かもしれない。ヴォーバンの住民は自動車を保有することができるからだ。ただ、地区のはずれにある数階建ての「ソーラーガレージ」に駐車するために年間18,000ユーロもの料金を支払わなければならない。また、街の大通りは時速30kmのスピード制限があり、ヴォーバンの狭い住宅街では歩行速度より速く走行することはできない。

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ヴォーバンに近づくと、Lorenz Wehrleが自動車乗り入れ禁止制度を守っている人は殆どいないと語った。「自動車乗り入れ禁止制度は機能していません。ここでも実際にはみんなそれを受け入れていないのです。行政は住民に車を持って欲しくないようですが、ここで生活する人たちに車は重要なんです」
ヴォーバンには、自分の車を持っていても申告せず18,000ユーロを支払わないでいる住民もいるようだ。「自分のではなく兄弟姉妹の車であるとかヴォーバンの隣村Merzhausenに駐車しているなどと言う申告をしているのです」

彼もまた社会統制について語り、ヴォーバンでは多くの教師が規則遵守としつけをすることに生きがいを感じていると非難した。リーゼルフェルドではDorisが、ヴォーバンの集合住宅は、弁護士、医者、中産階級の人たちが同一ブロックを共有するように作られていると語っていた。

危険なことだ。しかし、ヴォーバンに着くやいなや様々な神話が覆された。私達は町の境界部分を走っていたが、自動車乗り入れ禁止であるという感覚は殆どなかった。路面電車がストだったためだと思うが、実際、車の数は予想以上に多かった。私が最初に出会った住人はStefan Westphalというフリーの生物学者だった。彼は妻のManuela Kohlerが仕事をしている間、子供達- Heinrich(10歳)とLennard(8歳)の世話をしている。彼は、ヴォーバンの住人の5%が自動車を持っているが、持っていないふりをしていると述べた。彼は一生自動車を持たないという宣誓書にサインをし(駐車料金の)支払いを免れている。もし彼が不正をしたり気持ちが変わったりすると、財産の一部を没収されることもあるらしい。

彼の家(ガラス張りの歩道がついた天井の高いメゾネット)で、彼は(カーシェアリングクラブの)車をインターネットで予約するのがいかに複雑かを語った。路面電車がダウンし、タクシーの空車もないとなると私が次の目的地に行くためには彼に頼るしかない。彼が住むブロックでは13世帯のうち8世帯が車を持っておらず、5世帯はソーラーガレージに駐車しているらしい。(交通手段が限られていることに)怒り狂い路上に泊めてある車を叩き壊してしまう住人も実際にいると言う。「でも、それは極端な人たちで、殆どの住人は私達同様、学歴も家族もあり生活の質を求めている人たちです」

Stefanは、屋上テラスから屋根の50%を覆う青いソーラーパネルを指差した。ヴォーバンは小さな地区の発電所から電力供給されているため、この「集光器」は建物自体を暖めるだけではない。そこで発電した電気を電力会社に売ってささやかな収入を得ることができる。ソーラー建築家Rolf Dischが設計したSolar Settlement(もっと率直に言えば、プラス・エネルギー・ハウジング&サービスセンター)の近くでは、60件の住宅それぞれが年間6,000ユーロの収入を得ているが、これはドイツ政府が保証する収入の20年分に相当する。しかし、この技術の支払いを完了するまで最大9年かかる。パッシブ・ハウス・スタンダードに建てられた家は、消費する以上の電気をつくることができる太陽光集光器が設置されるため、「プラス・エネルギー」ハウスと呼ばれている。

ヴォーバンを見下ろす松の木に覆われた山から、私は巨大な多数の風力タービンを見つけた。動いているのかどうか殆どわからないくらいゆっくり動いている。「風はあまり吹いていないみたいですね」と私が言うとStefanは言った「いえ、あれ以上速く回転させることは禁じられているんです。英語でなんていうんでしたっけ、der fledermausのために・・・」
「コウモリですか?」と私が聞くと彼はうなずいた。「 たくさんのコウモリがタービンのブレードで死んだために問題になったんです」

出発の際、Stefanは地下駐輪場を見せてくれた。よちよち歩きの子供を乗せて自転車をひく人が大勢いた。「私の自転車は盗まれました。たぶん子供が学生のしわざでしょう」と彼は言った。「ここには生物学者が私のほかに2名、それから物理学者1名と小学校教師が2名、そして大工さんと警察官が1名ずつが住んでいます。バラエティに富んだグループです」

ヴォーバンのもう一人の住人、Barbara Classen氏は住民層について強い確信は持っていなかった。「市庁舎にいる人たちは、色々な人が入り混じった場合の人権を考慮していなかったのだと思います」Meinhard Hansen氏の隣のパッシブ・ハウスに住む彼女は、アールグレイティーを入れながら言った。「ここは基本的に中流階級のエリアです」

彼女と付近を散歩しながら、私はその通りだと思った。農園と、年齢層や活動により対象を異にする5つのプレイエリアを通り過ぎた。ヴォーバンのメインストリートで私達はBarbaraの10歳になる双子の息子の一人Philipが、午後の日差しの中、即席の蚤の市で本とおもちゃを売って数ユーロを稼いでいるのを見た。

「これは私達の紛争解決ワークショップです」とBarbaraはまじめな口調で言った。「この地に移ってきた人たちとの共同作業の場なんです」彼女は、ドアに’Benny’s Backwaren’と書いてある店を指差して言った。「あれは私達のパン屋さんです。でもBennyは本当はパン屋さんではなくアーティスト。実際は彼はパンを焼かないであそこに買いに行くのです」Philipの蚤の市の反対側は、"生協(coop)- 会員の人も非会員の人も、オーガニック食品をどうぞ" と書いた店だった。

午後1時、ドイツの学校の終業時刻となり、Barbaraと息子たち(双子のもう一人はRobertだ)は毎日SUSIという急進的な住宅協会(Barbaraいわく、集合住宅に住み生協を利用する意図的なコミュニティ)で昼食をとる。私には古くて懐かしい感じがした。Barbaraがイギリス人の夫Davidと二人の息子とイーストロンドンから新しい生活をするためにFreiburgに移ってくるのももっともだろう。私は彼女に、ヴォーバンのライフスタイルについて後悔したり我慢したりすることがあるか聞いてみた。

「ここはイギリスの公営住宅団地のように家が密集していて、10歳の子供達はいっせいにティーンエージャーになったりするのですが、それはとても面白い経験ですよね!車が大嫌いという人もいて、通りでけんかしている人もいます」と彼女は答えた。また、フライブルクの中でも過激なほど環境問題意識が高い区域に住むことは不名誉でもあるとも考えている。「タクシードライバーにヴォーバンに住んでいると言うと驚かれます。『正直言って自分には住めません』とでも言われてる感じです。彼らは私のようなノーマルな人間もヴォーバンに住んでいることを知ってびっくりするんです」

しかし、彼女にも不満はある。フライブルクの「グリーンな市長」(Dr Dieter Salomon)は個人投資家による実入りの良い大きな住宅団地の開発を支援して、一般向け住宅や集合住宅を推進していない。今回私が話をした人たちは、このことは献身的な社会主義の市長の下で賢明な歩みを描いてきたフライブルクに対する裏切りだと感じている。ドイツが、持続可能な生活に関し英国の何十年も先を行くようになったのは、環境に対する曖昧な感度ではなく、政治的な意思、構想そして政策があったからという裏付けがある。エコタウン建設がスタート地点ではあるが、そこには住宅建設よりも大きな目論見があるにちがいない。

 

10 Apr. 2009 posted
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